キャリアガイダンスVol.440
5/66

1 コークッキング代表の川越と(写真前列左)。会ったきっかけは、私がSNSに書いたやりたいことを読んで連絡をくれたこと。その後、私が作った食の交流会で出会った。2 今も日々更新している人生年表。死ぬときに、自分が関わった事業を通して社会や人に影響を与えて、感謝されれば最高。そのために今やるべきこと、これからやらねばならないことを考えている。3 2021年10月時点で登録飲食店が1800店舗、利用者数が47万人を突破。「私たち消費者がフードロスに立ち向かう方法」篠田沙織さんのTEDの映像はこちら!クッキングの代表と会う機会があり、入社の誘いを受けました。まだ社員が代表含めて2人しかいないベンチャーで不安もあったのですが、彼らも私とやろうとしていたことは同じだったので、やはりやりたいことをやろうと決断。新卒入社した会社を10カ月で退職し、コークッキングに転職してTABETE事業のリリースから運営に携わることになったというわけです。 これまでの27年間を振り返ると失敗だらけの人生で、進路選択のときも悩みまくって、キャリアもとても順調とはいえません。ただ、受験や大学選びなど人生の岐路で迷ったときには、選択肢を多く残す方に動いたのは正解だったと思います。そうした結果、今の私があるので。 また、転機のたびに人生が終わるかもと思ったのですが、そこからでも動けばいい方向に人生が変わったので、絶望を感じたときでも行動することは大事かなと。それと、就活を始めたころから、80歳を寿命にした「人生年表」をつけるようにしているんです。死ぬときにどんな自分でありたいかを想像すれば、今やるべきことが見えてくるからです。高校生の皆さんも作ってみてはいかがでしょうか。確実になれないことが決まったからです。これが2つ目の転機です。 浪人して両親に負担をかけることは絶対にしたくないと思ったので、日本女子大学英文学科に進学しました。 大学入学後は居酒屋や焼肉屋、カフェなどいろんな飲食店でアルバイトをしました。ある日、カフェでバイト中に、当日余ってしまった食品を大量に廃棄する現場を見てしまったんです。そのカフェでは明確に廃棄率が設定されていて、計画通りに仕入れ、廃棄することは問題ないという認識でした。これに大きな衝撃を受けました。 ただ、よくよく調べるとこのカフェだけが悪いわけではなく、社会全体の仕組みとしてそうなっていたんです。この一件で将来、食品ロス問題を解決しようと決意しました。これが、今取り組んでいる仕事に直接繋がる3つ目の転機ですね。もし小2のときの入院の経験がなかったら、「社会の仕組みなんだからしょうがないよね」で終わっていたと思います。 とはいえ当時はビジネスとして食品ロスに取り組んでいる会社など皆無でした。それで卒業後はインターンをしていた食関係の会社にそのまま就職。でもなかなか食関連の新規ビジネスに取り組める機会がなかったので、自分でやるしかないと、食品ロス削減の事業を立ち上げるべく起業の準備に入りました。 ちょうどそのころ、現在所属しているコー 皆さんは〝TABETE〞というアプリをご存知でしょうか。飲食店などで売れ残ったり余ったりした料理や食品を消費者がお得な料金で購入できるサービスです。私はこのTABETE事業の全体の予算管理や進捗管理、マーケティングを主に担当しています。 現在の私に至るまでにはいくつもの転機がありましたが、そのたびに「人生終わった」と心が折れそうになりました。 まず1つ目の転機は小学2年生のときに白血病にかかって1年半入院したこと。入院中は基本的にずっとベッド上だったので、唯一の楽しみが食事でした。でも食事制限がきつく、好きなものを食べられないってこんなにつらいんだなと痛感し、大きなストレスとなっていました。この経験がその後の人生を決定づけることになります。 高校生になって進路選択の時期を迎え、いろんな職業を調べたとき、食関連の仕事に一番興味があることに気づきました。それで、食を通じて誰かを助ける仕事に就きたいと考え、管理栄養士を目指すことにしました。 いよいよ迎えたセンター試験の日。数学Ⅰ・Aで予想だにしなかった大事件が起こりました。一問目がいきなりトリッキーな問題だったんです。その瞬間頭が真っ白になり、そのまま終了。結果は100点満点中13点でした。この瞬間、「人生終わった」と目の前が真っ暗に。理系の学部に進学できず、管理栄養士には食品ロス問題に尽力カフェで見た衝撃的な光景が人生を変えた52021 DEC. Vol.440

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る