キャリアガイダンスVol.441
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連ねる。俵谷校長の人脈によるほか、熊谷先生が一人ひとりに打診し、手探りで広げたつながりだ。 「日々、生徒と向き合う先生方に、外部との折衝をお願いするわけにはいきません。熊谷先生にも担任を外れてもらい、教務部に新設した探究推進課の専任となってもらいました」(俵谷校長) プロボノメンターの負担にならないよう、参加をお願いしているのは、課題設定の時期、中間発表、最終発表の最低3回。基本的にはオンラインだが、直接、しかも複数回足を運ぶ人もいる。教務部長の豊田裕子先生は言う。 「外部との連携に慣れていない我々に代わり、熊谷先生がすべて準備をしてくれました。ただ内心、無償で生徒にアドバイスまでしてくれる人などいるのだろうか。頼っていいんだろうか、という不安があったのも事実です」 だが、プロボノメンターの多くは二つ返事で引き受けてくれた。同校OBで、地元で酪農を営む内海ファームの内海洋平さんは、理由をこう話す。 「自分が高校のころ、バカ話を交えながら遅くまで勉強につきあってくれた先生がいたんです。当時の鹿追高校は、少し荒れていて進学実績も高くなく、自分も家業を継ぐか迷っていました。でもその先生が、国立大学進学という選択肢に気づかせてくれたんです。そのときの恩をいつか次の世代に返したいと考えていたので絶好の機会でした」 関西学院大学教授の富田欣和さん活動があるほど地域交流が盛んな学校だ。前任校とのギャップに悶々としていた熊谷先生は、新年度が始まるもコロナ禍で計画通りに探究を動かせなかった時期にも、生徒有志とできることをしてきた。然しかりべつ別湖ネイチャーセンターと協働し観光ガイドに挑戦したり、地元サッカーチームからの依頼を受け、東京のデザイナーの協力の下、ロゴを制作したり、大学教員の助言を仰ぎながらZoomを使って町民のQOL(Quality of Life)調査をしたり。 「大切なのは、生徒が自ら考え、主体的に動くことであって、探究の時間を充実させることではありません。課外活動であれ、有志であれ、やれることからやればいいのです」(俵谷校長) そうした取組と並行し、晴れてカリキュラムに組み込まれた「鹿追創生プロジェクト」が始まった。看護・医療、農業、観光、防災など12の分野に分かれ、町が抱える課題を発見・解決していく授業だ。特徴は、各班にプロボノメンターと呼ばれる外部の専門家が助言者として加わること。PTA会長や卒業生などの町民もいれば、十勝管外、道外のビジネスパーソン、大学教員も名をと、慶應義塾大学特任助教の渡辺今日子さんは、俵谷校長が奥尻高校にいたときからの縁で声が掛かった。 「どうすれば島を活性化できるか、大学のプロジェクトで2年かけて探った結果、教育に行きつき、奥尻高校でPBLを始めたんです。その時、大人が適切に関わることで、生徒の目が輝き、才能が開花する瞬間を何度も目撃しました。私自身それが、何物にも代え難い喜びとなっていたので、声を掛けていただいたとき断る理由がありませんでした。学校の外側には協力を惜しまない民間の人が大勢います。連携を負担と思わず、高校の先生方の理想の実現に向けた分担と感じていただければありがたいです」(富田さん) 教務部長の豊田先生の中で「不安」から始まった感情は、一年を通して、「驚き」「喜び」「期待」「達成感」など目まぐるしく変化した。想像を上回る成長を生徒が遂げたからだ。例えば調理製菓班のメンバー(「生徒たちの声」参照)は、乳製品の製造過程で生まれるホエー(乳清)が有効活用されていないというプロボノメンターの内海さんの話をヒントに、それを原料としたクッキーを商品化し販売するに至った。 「食品会社や菓子職人、カフェオーナーなどとつないだのは私ですが、それは彼女たちが、自分で考え、行動に移すことができる生徒だったから。商品化に至ったのも懸命さが伝わったからです。私自身、チャレンジ精神を思い出させてもらいました」(内海さん) IT班とスポーツ班の生徒(「生徒たちの声」参照)が協力して発足させたeスポーツ部(同好会)は、新聞でも大きく報道された。「高校の知名度をあげ、負担と思うか、分担と捉えるか。学校の外にいる大勢の人との協働で理想実現に向けたスピードはあがる俵谷校長が掲げた「鹿追アカデミア構想」の概念図。内容は当時のもので現在も日々更新中鹿追創生プロジェクトの最終発表会。生徒の発表に対面もしくはオンラインでプロボノメンターが耳を傾ける。大人の関わりや見守りを通じた想像を超える生徒の成長内海ファーム代表取締役内海洋平さん図2:「鹿追アカデミア構想」の概念図242022 FEB. Vol.441

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