キャリアガイダンスVol.442
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田中 清水さんは、県立高校の教員時代や教育委員会にいるときも、性感染症予防を訴えて各地の中学や高校を講演して回っていたんですよね。「コンドームの伝道師」の名で紹介されている記事を読み、こんな攻めた活動をする高校教員がいるのか、とびっくりしました。清水 驚かせてすみません(笑)。でもそれって保健体育の教員としての本業ではなく、仕事の合間の個人的な使命というか趣味の活動なんです。それに、記事ではコンドームの実習ばかりクローズアップされますが、アフリカの実情やパートナーとの関係性などの話にも時間を割いてるんですよ。もっとも、性教育に関心がない層にもメッセージが届くのはありがたいですが。田中先生は「フリーランスティーチャー」と名乗られていますが、きっかけは何だったのでしょう?田中 以前勤めていた小学校で、学級経営がうまくいかないことに悩んだ同僚が病気休業したんです。代わりに来た講師も技量不足で辞めてしまい、穴を埋めるのが大変でした。この問題は根深いのですが、少なくとも自分がフリーランスになれば困っている学級をすぐに助けられると考え、公務員を辞めたんです。フリーランスティーチャーと名乗ったのは、時間講師と何が違うか考えたとき、経験やスキルを活かし、助けが必要な場に颯爽と登場するイメージがわいたからです。お陰で、興味をもつ人が増え、問題意識が共有されたことは良かったです。僕の場合、やりたい仕事・やるべき仕事と、そうでない業務の折り合いがつかず組織の外に出たのですが、清水さんは組織の中で、したいことを貫いてきたんですね。清水 私は「仕事は仕事」と割り切って、どんな業務も最大限の力を発揮しようとするタイプですが、同時にどうしたら楽しくなるかも常に考えるため、時々「これは好きかも」と思えることに出合います。エイズなどの性感染症に対する興味もその一つでした。教科書をなぞるだけでなく、渦中のアフリカでは何が起きてるのか確かめたくなり、青年海外協力隊に参加したのが、今の活動の始まりです。田中 僕もフリーになってから、マーシャル諸島に図書館を建てる活動に半年間従事しましたが、2年間休職してケニアに滞在するバイタリティはすごいですね。清水 現職教員対象の制度があり、毎年何十人もの参加者がいるんです。そのなかに私と同じく、「妹が出産し、孫を待望する親のプレッシャーから解放されたことで今回決断できた」と話す同年代の女性の先生が複数いました。人の生き方や働き方って、こうした見えない力にも制約を受けているんだなと実感しました。田中 わかります。自分は長男ですが、妹家族が地元に残っているお陰で、東京で自由にやらせてもらっています。その東京、特に小学校では代替教員としての講師が不足しています。つまり僕にとって売り手市場なのですが、もし複数の学校から請われたら、敢えて、よりしんどそうなところを選ぶようにしています。清水 そこが素晴らしいですね。私も帰国後、希望が通り夜間定時制課程の高校に勤務しました。ケニアで多くの社会問題に触れたことで、困難な状況に置かれた子と関わりたかったからです。以前いた進学校では規範を重んじる教師でしたが、随分アプローチも変わりました。今は教職を辞し、大学院で文化人類学や哲学を学びながら性愛について研究しています。金銭面含めて不安はありますが、少なくとも2年は、やりたいことをし、自分の人生に余白をもとうとしています。田中 思い切った決断ですね。僕の場合、確かに公務員時代と比べ収入はかなり減りましたが、お金で時間を買ったと思っています。自由な時間ができたことで、講師の仕事に加え、マーシャル諸島でのボランティアのほか、イラストまで手掛けた教育書の執筆や、SNSを通じた全国の仲間とのつながり、それに趣味も含めワクワクできることが次々と可能になりました。けれど何より嬉しいのは、「助かった」と喜ぶ先生方を見ることです。本当に困っている小学校が多いので。清水 海外で感じたのは、日本の先生は総じて能力も高く真面目なこと。時間の余裕さえあれば、田中先生のように面白いことに挑戦したり、学んだりできると思うんですが、現実には休む暇があり大学院生(元・高校 保健体育科教員)しみず・みはる●1980年滋賀県生まれ。中京大学体育学部卒業。滋賀県の公立高校教員として進学校、夜間定時制、県教委事務局(競技力向上対策本部)勤務後、教員歴19年で退職。現職中に青年海外協力隊に参加しケニアの地方病院で2年間活動。現地中高生2000人以上にエイズ予防講座を届けた。帰国後もライフワークとして性教育や異文化理解などの講演活動を行う。現在は立命館大学大学院先端総合学術研究科に在籍。1万人の高校生にコンドームを配る「びわこんどーむプロジェクト」を全国で展開。フリーランスティーチャーたなか・みつお●1978年北海道生まれ。東京都の公立小学校で14年間勤務するなか、病休、産休、育休代替講師不足による長期担任不在学級の多さを目の当たりにし、自身のキャリアを活かせないか考えた末退職。2016年よりフリーランスティーチャーと名乗り、SNSなどを通じた募集で、現在までに公立・私立小学校11校で代替学級担任を務める。2018年NPO法人Growmate理事として、半年間マーシャル諸島共和国でボランティア活動に従事。私設図書館の設計・施工を行う。162022 APR. Vol.442

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