参加者が考えたい問いを選ぶのが哲学対話の原則。「考えたい問い」を生徒側が選びながら対話は進行し、次第に話は「自分らしく働くことと、仕事のなかで組織や他者と協調することは両立するのか」といった方向に白熱。参加者から「『自分らしさを発揮すること』と『わがまま』は何が違うのか」という問いが出たところで、終了の時間に。「この問いは今日のお土産に」と松川さん。哲学対話に結論は不要だ。参加者たちは「楽しかった」と「モヤモヤが残ったまま」の両方の表情を浮かべて解散した。 最後に、大人と高校生が入り混じり「自分らしく働く、は必要か」について意見を聞いた。「必要」「不要」「そもそも必要かどうかという問いがおかしい」などと考えが分かれる。この対話中に、大人の中から「自分らしさとは何か」に関していくつか論点が提示された。すると松川さんは、生徒たちに「この問いについて話してみたい?」と問う。生徒たちはあまり乗り気でない様子だ。自分ごととして「働く」を語り出した高校生たち全員で対話60分で対話↓10分で感想時間配分の例(3時間の場合)与えられた役割のなかでも「自分らしさ」は発揮できる。組織の目的と自分の目的がクロスする地点を見つけたい。この対話を通じて「自分らしさを発揮すること」と「わがまま」は違う?という問いが生まれましたね。これはお土産にしましょう。必要かどうかじゃない。「この仕事が自分に合っていない」と感じたのならそれ自体が「自分らしさに気づく」ということだと思う。 この対話のなかで、高校生の一人が「今、すごく何かを考えている気がするんだけど、言葉で整理できないのでパスしたい」と発言しました。進行役から見えるよりも参加者の頭の中ではさまざまなことが起きています。言語化を重視しすぎると「言葉にできること」のなかで考えるようになります。「いっぱいいっぱいで言葉にできない」状態の参加者がいたら、無理に考えを急かさずに、「今すぐ言葉にしなくてもいいし、話したくなったら話してもいいよ」などと受け止めましょう。 言葉で整理できない状態は、モヤモヤするものです。そんな参加者に、私は「モヤモヤした時点で、宝のありかを見つけたようなもの」と話します。モヤモヤするのは、これまで至らなかった考えに辿り着こうとしているから。何かしらの発見がそこに埋まっている証です。 だから、参加者がモヤモヤしたまま対話が終わることを恐れる必要はないのです。哲学対話は即効性のある薬のようなものではありませんが、じわじわと問いが染み渡るように、思考を促し続けます。終わった直後に印象に残った言葉と、1週間後に思い出す言葉が違うこともある。モヤモヤや問いは、その日のお土産にお渡ししましょう(松川)。ファシリテーションのポイント言葉にしなくてもいい。モヤモヤは宝が眠る証テーマ自分らしさを出しすぎることが、よくない状況につながることもあるんじゃないか?自分のクラスだけ派手なことをして、楽しいイベントばかりにするんじゃなくて、学校全体の目標のなかで工夫しないと…。なぜ自分のクラスだけ派手なことをするのはよくないんですか?あるとき、ほかのクラスの児童から「先生のクラスだけ、いいなあ」と言われて気づいたんだ。僕のクラスだけよければいいのか?学年全体で見るとどうなんだろう?って。262022 APR. Vol.442
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