キャリアガイダンスVol.442
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今号のオープニングメッセージやっぱりできるんじゃないか吉本ばなな【特別寄稿】いつもそこにいて生徒を見守ったり、連絡を取り合ったりしている。決して何かを促したりはせず、生徒がしたいことを見つけるのを辛抱強く見守る。教えて欲しい教科があれば一緒に勉強してくれる。美術作品や映像作品を作るのを手伝ってくれたりもした。学校内の決めごとは全て話し合いで行われ、全て自分たちで決める。スタッフを解任することさえ、子どもたちで話し合うのだ。縛られるのが嫌いなうちの子どもには、きっとその自発的なやり方が合っていたのだろう。 ただし、この段階で学歴ゼロである。さすがの私も何回か「うわ~、義務教育受けてないよ、どうなるんだろう」とか「すごい道に入っちゃったな」と感じた。鼻くそをほじりながらゲームなどしている子どもを見るにつけ、不安になったりもした。でも子どものことを愛し信じることは親バカでもなんでもないので、ただただ見守った。 そうしたら子どもは十六歳から猛然と勉強して中卒認定を取り、ネット高校に進み、まじめに課題を出し続けて、AO入試で大学に受かった。 自慢でもなく、親バカでもなく、「この道しかない、この枠しかない、外れたらたいへんなことになる」という感覚は、いざ一歩出てしまうと意外に見晴らしがよく、可能性がたくさん見えてくる。リスクを取るのは不安だが、生きて、健康で、楽しそうなら、ものごとはなんとでもなるということだ。 今になって私は思う。不安に思ったけれど、やっぱりできたじゃないか。 決して全ての枠を外すことをお勧めはしない。でも、全てのことには同じように、無限の道があると思う。狭めてしまうのは自分の固い頭だけだ。たまには一歩外に出て、新鮮な風を吸ってから考えてみてもいいことは、たくさんあると思う。の子どもは、通学のつごうや親の仕事のつごう(月に一回は海外出張があり、夫婦共に両親は高齢、姉は介護。シッターさんに預けていきたくなかったので、連れて行かざるをえなかった)で、幼稚園から小学校一年までインターナショナルスクールに行っていた。自分たちが英語で苦労したので、話せるようになってくれたらきっと将来楽だろうなと思ったこともある。 結局英語は発音以外ほとんど伸びず、そのインターナショナルスクールの方針が勉強熱心だったので、宿題が山ほど出た。子どもは毎日必死で宿題に取り組んでいた。 その頃から、理系だな、ということだけはなんとなくわかっていた。算数が好きで楽しそうだったからだ。親は「なんとなく」把握していればいいのだと、そのときに強く思った。限定したり、ここを伸ばそうと思って習わせたりすると、本人が圧を感じて興味を失ってしまう。 英語と宿題についていけなくなり、学校からも「うながし」があったので、小学校一年生でインターナショナルスクールをやめた。こんな半端な時期に?と思ったのだが、学校側がむつかしいと判断したのだから、しかたがない。 公立に入り直す前に、知人が経営していたオルタナティブスクールに取り急ぎ入れた。そこでちょっと休んでもらって、また考えようと思ったのだ。 しかし、子どもはそこに十六歳まで自ら望んで在籍していた。その学校にはカリキュラムは一切なく、好きなことをして過ごしていい。寝るのもゲームをするのも自分の好きな教科を勉強するのも料理をするのも自由である。年齢がある程度高くなれば、公園で過ごしたり買いものに行ったりもできる。スタッフと呼ばれる校長先生夫妻は私吉本ばなな●1964年、東京生まれ。日本大学藝術学部文芸学科卒業。87年『キッチン』で第6回海燕新人文学賞を受賞しデビュー。著作は30か国以上で翻訳出版されている。近著に『ミトンとふびん』など。noteにて配信中のメルマガ「どくだみちゃんとふしばな」をまとめた文庫本も発売中。『ミトンとふびん』(新潮社)撮影/Fumiya Sawa2022 APR. Vol.4423

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