働くのは苦痛だと感じました。社員も同じ気持ちだろうと思い、父に社訓のようなものはないか尋ねたところ、『そんなものあっても儲からん』という返事。ならば自分でつくろうと思ったのがきっかけです」(中川氏、以下同) 300年近く続く老舗に社訓がないものなのか。なんとなく受け継がれてきた理念はあったのではなかろうか。「確かに、調べてみると、私の三代前の十代中川政七が、生業であった奈ならざらし良晒が廃れ、周囲が商売替えをしていくなか、工芸の灯を消してなるものか、とばかりに踏ん張った時代がありました。それは今のビジョンに通じるものであり、そこだけを抜き出せば、『言語化されていないだけで、受け継がれてきたものはある』とは言えます。ただ、大切なのは言葉にすること。そうでなければ伝わりようがありません」 では中川氏は、どのように言葉を編んでいったのか。「まず、他社の例を知るため、大手企業のビジョンなどをまとめた本を読み込みました。すると、ピンとくるものと、こないものがあったんです。違いは、その会社の事業や実践ときちんとつながっているかどうか。なので、建前やきれいごとではない、つまりハリボテではない、達成に向け全力で取り組めるものにしようと決めました」 ただ、ビジョンづくりのノウハウを有していたわけではない。あーでもない、こーでもないと悶々と考え続けるうち、数年後、天から降ってきたように現れたのが今のビジョンなのだという。だが、改めて振り返ってみると、WILL・CAN・MUSTの重なり合うところにビジョンはあるのだと、中川氏は考えている。 WILLとは、「どうありたいか」。「毎年、工房や職人さんが廃業の挨拶にきていたんです。衰退していく工芸の世界を目の当たりにし、何とかしたいという思いが募っていました」 CANとは、「何ができるか」。「でも、志だけでは動けません。達成するだけの力がなければ口だけで終わってしまいます。私には自社を立て直した経験があり、他の工芸メーカーさんを手助けできると考えました。ただ、背負えるギリギリの範囲にすること。〝日本の工芸〞であって〝日本のものづくり〞でないのはそのためです。それはさすがに背負いきれません」 MUSTは、「何をすべきか」。「当社のビジョンは、衰退しつつある地方の産業の問題や、中小企業の事業承継問題など、社会課題とも連結しで、同社にはビジョンはおろか、社是や社訓と呼ばれるものもなかったという。では、どのように中川政七商店のビジョンは生まれたのだろうか。「東京の会社を辞め、2002年に中川政七商店に入社した私の役割は、母が責任者をしていた赤字部門を立て直すことでした。目の前のことに集中し、古い経営体質を見直すことで黒字化し、経営は回り始めました。すると、自分は何のために働いているんだろう、という疑問が芽生えてきたんです。この先、何を目指すのか。単に利益を出す目的で、20年、30年となかがわ・まさしち●1974年奈良県生まれ。京都大学法学部卒業。富士通を経て2002年中川政七商店入社。2008年十三代社長就任。2018年より現職。工芸をベースにしたSPA業態を確立し、直営店を全国に約60店展開。「日本の工芸を元気にする!」というビジョンの下、2009年より業界特化型経営コンサルティング事業を開始。2017年には全国の工芸産地の存続を目的に日本工芸産地協会を発足させる。現在、地元奈良に多くのスモールビジネスを生み、街を元気にするN.PARK PROJECTを提唱。産業観光によるビジョン実現を目指している。中川政七商店 代表取締役会長中川政七WILL・CAN・MUSTの重なり合うところ図 WILL・CAN・MUSTの重なるところにビジョンはある132022 JUL. Vol.443“言語化”して「みんなのもの」にするということ。
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