ています。多少なりとも時代や社会とつながっていなければ、人の共感は得られません。以上の三つが重なり合う部分がビジョンになり得るし、どれが欠けてもいけないと思っています」 そうやって生まれたビジョンだが、社内の反応は当初、鈍かった。 「完全にポカンとしていました。『いきなり日本の工芸と言われても』『元気にするってどういうこと?』という反応です。とにかく私の考えを説明するしかありませんでした。〝元気にする!〞とは、各地の工芸メーカーが経済的に自立し、ものづくりの誇りを取り戻すこと。そして、ハリボテのビジョンにならないよう、日々の事業とのつながりを噛み砕いて説明しました」 自ら手本を示すべく工芸メーカーに特化した経営再生コンサルティング事業も開始した。その一件目が、長崎県にあるマルヒロという陶磁器メーカーだ。苦労の末に新ブランドを立ち上げ、倒産寸前だった同社の経営状況を劇的に回復させると、波はさみやき佐見焼の名は一躍全国区になった。 「これが成功例となりました。新ブランドを一緒に立ち上げた当事の社長の息子さんを奈良に招き、手取り数万円だった彼の給料が数倍もアップしたエピソードなどを社員総会の場で話してもらったところ、『そうか。これが日本の工芸を元気にすることなんだ』と、多くの社員に理解されました」 それでもまだ、自分ごととしてビジョンを受け入れるまでにいたらない。「言ってることはわかるけれど、社長個人の取組でしょう」というわけだ。中川氏はアルバイトを含む店舗スタッフに「それは違う」と言い続けた。 「確かに波佐見焼のブランドづくりに関わったのは私だけど、そのマグカップを販売しているのはあなたたち。店頭での日々の活動が日本の工芸を元気にしているんだよ」と。 このほか、年一回の「政七まつり」(後述)や毎月のメール配信などでも同じことを伝え続けた。また、ビジョンと社員の日常をつなぐよう、十箇条からなる行動規範・価値観を示したカードを作成。全員に配っている(写真上)。 意外だったのは、ビジネス書を出版したときのこと。多くの社員から「社長の言っていることがようやくわかりました」と言われたのだ。 「社内で同じことを直接話しても右から左なのに、テレビや雑誌などメディアを通して入ってくる話は、客観的に見えるからなのか腹落ちするようです。一旦外を通すことで、内部により伝わることを知りました」 ビジョンが浸透したことで、さまざまな変化が生じた。最初に現れたのは採用の場面だ。以前とは明らかに異なる優秀な人材の応募が増えた。無論、ビジョンに共感してのことだ。 また、ビジョン達成にプラスになるかどうかを判断基準にすればいいため、経営判断にブレがなくなったという。ビジョンにつながらない事業はやらないと決めているから無駄なことに時間を割かれない。社員一人ひとりの当事者意識も強くなった。 「取引先から『中川さんのところは仕事がしやすい』と言われたことがあります。理由を尋ねると、担当者の判断が求められる現場で、『一旦、社にもち帰って』とか『上に確認してから』と言われることがほとんどないから、とのこと。ビジョンが浸透してからは、私抜きでも大きなプロジェクトが勝手に動くようになりました」 その後も中川氏は、「すべてはビジョ『ビジョンとともに働くということ』『日本の工芸を元気にする!』『経営とデザインの幸せな関係』『老舗を再生させた十三代がどうしても伝えたい小さな会社の生きる道。』など、多くの著書を通じて社内外にメッセージを伝えている。日々の業務とのつながりを意識しビジョンの意義を伝え続けるすべての判断軸はビジョンに合うか合わないか十箇条の行動規範・価値観を記した「こころば」。一、正しくあること。二、誠実であること。三、誇りを持つこと。四、品があること。五、前を向くこと。六、学び続けること。七、自分を信じること。八、ベストを尽くすこと。九、対等であること。十、楽しくやること。142022 JUL. Vol.443
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