教員経験がない私が札幌新陽高校の校長に就任したのは2021年。それに先立つ3年間は、経営母体である学校法人の外部アドバイザーをしていました。当時の本校は民■■■間出身の荒井 優前校長が掲げた「本気で挑戦する人の母校」というスローガンの下、探究コースの設置や部活動改革などで注目されていました。そうしたなかで私は、事業再生コンサルタントの経歴を活かし、働き方改革のほか、スクールミッションやビジョンの策定にも関わりました。ミッションとはいわば存在意義。そこで「もし新陽高校がなくなるとどうなるか」という問いから議論を始めました。「なんだかんだいって高校が1つなくなるだけ」という意見もあるなか、「いや、スローガンに背中を押され、中学まで自分に自信がなく挑戦してこなかった多くの生徒が今、リーダーシップを発揮している。それを可能にする学校が消えては困る」という想いが共有されました。 また、本棚に並ぶ周年誌を皆で読み込むなど校史を振り返りました。すると、「自主創造」の校訓の下、職員室には自由闊達に意札幌新陽高校(北海道・私立)352023 APR. Vol.4461958年創立。「人物多様性」というビジョンの下、「“生徒の数だけ学びがある”を基本理念とし、誰一人取り残さない教育を実践する」から始まる「達成に向けた10の取り組み」を掲げる。それに基づき、多様な外部との連携、コース別学年制から単位制への移行、ハウス制・メンター制の導入、校則の見直し、職員会議に代わる月1回の対話の場「中■■つ火■を囲む会」などに取り組む。見しあう空気があり、生徒も多様な進路を切り拓くなど、変化や挑戦の歴史であることを認識しました。改革の素地は昔からあったのです。そうした多くの人の思いを紡ぎ、「本気で挑戦し自ら道を拓く人の母校。常に新たな改革に取り組み、高校教育を再創造する」というミッションと、「人物多様性〜サステナブルな社会を目指して、生徒・教職員・社会が協創する」というビジョンは生まれました。 カリスマ性のある前校長の後任として生徒に受け入れられるかという不安や気負いを一蹴してくれたのは、新校長就任が発表された3月に生徒会長からSNSで直接届いた、「来年度からよろしくお願いします!!」というメッセージでした。本校には人懐っこい生徒が多く、大人に頼みごとをすることも上手。大いに利用してほしいと思います。 就任後、ミッション・ビジョンに基づき、改革を継続しました。単位制に移行し多彩な科目を用意したのは、自ら考え、選び、決める経験を積んでほしいから。いわゆる校則を見直し頭髪等の規定をなくしたのも、生徒自身で判――人によっては思い切って派手な服装をしてくることもあるかも知れません。そして、ある種の流行になるという心配もあります。しかし、そのような浮いた空気があるとするならば、すでに女子学院の教育に何か大きな欠陥があることを示すにすぎません。そのときは、服装よりも教育のありかたそのものを反省すべきであって…あかし・のぶこ/1976年生まれ。早稲田大学商学部卒業。三井物産、アルフレックスジャパン、UBS証券を経てPwC Japan入社。2014年福島県双葉郡教育復興ビジョン推進協議会へ出向。教育に関心をもち、学びの多様化を掲げ2018年ウィーシュタインズ設立。福島で知り合った荒井 優前校長の誘いで学校法人札幌慈恵学園アドバイザーに。2021年“複業する校長”として札幌新陽高校校長就任。断してほしいからです。賛否両論ありましたが、信念が揺らがなかったのは、私の母校が1972年に制服を廃止するにあたって、学院長が保護者に宛てた所信の存在でした。 東日本大震災後の教育復興事業で学校教育に関わり始めたとき、一部の理不尽な校則が気になり自分の中高時代を調べたところ見つけた文章です。こう言いきる教育者が半世紀前、身近にいた事実に震えました。この件を含め、本校の実践はオープンにしています。ミッションの後半で「高校教育を再創造する」と打ち出したのも、改革を本校だけに留めないという決意表明のつもりです。まとめ/堀水潤一 撮影/川原 亮創立以来、連綿と続く変化と挑戦の学校風土校則見直しの拠り所になった半世紀前に母校で出された所信
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