分だけでなく、ほかの誰かに対しても。生中継を行う仕事をしています。飲食店や観光地、スポーツ施設など、あらゆる場所に足を運び、撮影や音声といった技術スタッフ、ディレクターとチームを組んで中継を行う。時には、取材した物や人について視聴者に魅力を伝えたいのだけど、このままでは伝わりにくい状況もあります。に旬を迎えたスイカの魅力を中継で伝えることになりました。丸々と育ったスイカは、それはみずみずしくおいしそうなのですが、スイカ一つをアップで映して僕が情報を読み上げるだけでは、テレビの向こうの人たちに最盛期を迎えたスイカの魅力が伝わらないのではないかと悩みました。どんな演出をして伝えれば、視聴者の方は『おいしそう』と思ってくれるかな?」と考えます。そんな抽象的な問いに対して、みんなでどれだけ汗をかけるかが勝負です。リアも異なる人たち。まさに「多様な人々と協働して」抽象的な問いに向き合う瞬間。このとき起きがちなのは、〝正解〟をめぐって衝突することです。ほかの人よりも経験の長い人が「私はあのときこんな手法でうまくいったから、こうすべきだ」と過去の成功体験を押しつけてしまったり、「プロとしてこれは譲れない」とそれぞれの役割僕は今、さまざまなニュースの現場からあるときはスイカ農園を取材して、まさこんなときは「目の前のこの食べ物に、その場にいるのは、それぞれ役割もキャに固執してしまったりする。でも本来、伝え方に〝正解〟なんてないんです。たくさんのスイカが隙間なくぎっしりと並んでいる画があれば、今か今かと出荷を待つスイカ農園の様子が臨場感をもって伝わるかもしれない。スイカを置く敷物の色を変えてみては?スイカに思い切りかぶりついてみてはどうだろう。考えの異なる人たちが集まり、さまざまな方向からアイデアを出せれば、伝える手法の引き出しも広がっていきます。だから抽象的な問いにチームで向き合うときこそ、それぞれ異なる人たちが考えること、発言したことを、互いに認め合う。それが円滑に現場を回して、やり遂げる力になると思うのです。自分より若いディレクターと自分の意見がたとえ違ったとしても「発言してくれてありがとう」「あの考え、すごいと思ったよ」と言えるかどうか。お世辞を言う必要はありませんが、あなたのことを「ただ認めている」、そのことを照れずに伝えられる人は、実はあまり多くないのではないでしょうか。でも、自分が言われたら嬉しいですよね。「自分はここで認められている」と思えたら、自然と働くのも楽しくなる。みんなの幸せにもつながります。コミュニケーション能力や伝える力とい うと「語彙を磨いて豊かな表現ができるように」「自分の考えを整理し、論理的に相手に伝えるためには」といったことばかりを考えがちです。実は、僕もそうでした。かつては〝巧い〟アナウンサーになりたかった。でも、技術が巧みであることと魅力的であることは違う。高度なことをやっているようでも、チームがギスギスしていたら、その雰囲気が周りに伝わってしまうこともあります。実際の中継現場では、スイカについて鋭い言葉で描写し、論理的にそのおいしさを説得しようとするよりも、本気でスイカにかぶりついて「おいしい!」と心からの一言を漏らすほうが視聴者に魅力が伝わる、なんてことも往々にして起きる。だったらコミュニケーションって一体なんなんだ? そのことについて考え、日々現場で実践していくなかで僕がつかんだ端緒が、まずは自分に肯定的な言葉をかけて「自分の機嫌を自分でとること」でした。自分を肯定し、認めることができるからこそ、同じ眼差しを他者にも注ぐことができるのです。相手の考えに賛成か反対か、どの意見を採用するのがベストか、といった話とは別に「あなたをただ認めています」と表現できるようになる。そう考えてみると、テレビ局で伝える仕事に携わっている人には「褒め上手」が多い気がします。相手のことを認めるための言葉や方法を豊富にもっている。きっと多様な人が協働して、正解のない問いと向き合い続けるために欠かせないのが、まず認め、肯定することなのでしょう。その一歩目は、自分から。だから僕はご機嫌でいたいのです。みんなで「伝わる」をつくる褒め上手が多いわけは452023 APR. Vol.446
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