葉にすると、気持ちが削がれてしまう、と思う瞬間がある。言葉を介さないで伝わってほしいと思ってしまう」といった声も。これに対して大人からそもそも「言葉にできなくてもやもやする」と感じる瞬間は、日常にどれくらいあるのだろう。聞いてみると「それはたくさんある」と答える参加者たち。ある高校生は「言葉にできなくて、でも、なんとか言葉にしたいと思ってもやもやしているのに、それを親に話も「気持ちをわかち合うのは難しい。特別な気持ちは、自分の中でとどめておきたい、と思うのも理解できる」と共感を得ていた。すと『思春期だからしょうがない』と言われてしまう」と発言。思春期だから、と片付けてしまうと、余計にもやもやするよね、とみんなでうなずき合う。ある高校生は「大事な意思や感情 あ こそ、言葉にして伝えたほうがいいと思うんだけど、それが言葉にならない」と語る。「『ラーメン食べに行きたいね』くらいの身近な気持ちなら言葉にして伝えられるけれど、友達と花火をしていて『ずっとこの時間が続いたらいいのになあ』と漠然と思っても、それをうまく外に出して、伝える言葉がない」と言う。すると、大人の中から「自分の気持ちにぴったり合う言葉なんて、ないのではないか」と意見があがる。「だいたいが『言いすぎる』か『足りない』もので『ぴったり』合うのは難しいよね」。ほかの大人からも「自分の考えを書くというシチュエーションだと言葉にできるけど、みんなの前で話すとなると、なかなか言葉にならないときがある。言葉にするときの状況によっても、もやもやする度合いは変わるのかもしれない」と別の観点から指摘がある。こうした対話を通じて、「大人でも、言葉にならなくてもやもやすることがあるんだ」「ぴったり合う言葉が見つからないのは、私だけではない」と感じた高校生もいたようだ。では、言葉にならない曖昧な気持ちが具体的な言葉につながる瞬間は、どういうときに訪れるのだろう?る高校生は、「感情の言語化が苦手。だから、とりあえず思ったことやイラッとしたことを、SNSの自分にしか見えないメモに送っておく」と話した。「あとでそのメモを見ていると、『今日こういうことをされて嫌だと感じた』と気持ちが整理できて、自然と言葉になる」と言う。学校で弁論部に所属している高校生は「自分が書いた文章を、他の人に読んでもらうとき」と語り、「他の人から別の表現のほうがいいと指摘してもらって、初めて自分が言いたいことが
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