キャリアガイダンスVol.448
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「嬉しい」「悲しい」の言葉では表せない、複雑な心のひだに触れるための言葉を知る言葉と心をつなぐ夏井いつき俳人し”のアイドルを見て、感動した」。このように語る高校生がいたとします。「感動」という言葉では、まるでピントの合わない写真のような、ぼんやりした感情しか表せません。では、その感動した瞬間、この子が捉えた映像の細部に注目してみましょう。“推し”の目はどんなふうだったか。“推し”が自分の横を通り抜けたあと、どんな風を感じたのか……見たもの、音、匂い、身体に触れた感覚。その細部にこそ、抱いた感動の真実があります。言葉にするということは、ある瞬間の心の動き、身体で捉えた記憶を、鮮やかなままに真空パックしていくようなものなのです。 言葉を磨くというと、何やらすごい文芸作品を創ることのように誤解されがちですが、本当に大事なのは、自分の体験や身体感覚と、言葉を結びつける力を得ることです。その手立てとして、俳句は初心者にもおすすめできます。なぜなら、体験や身体感覚の記憶を引っ張り出すためのフックとして「季語」があるからです。 例えば、この俳句。   秋風や模様のちがふ皿二つ   原 石鼎 秋を知らせる風は、もの寂しい、哀れな感じがします。これに“模様の違う皿が二つある”という映像を取り合わせると、おそろいの皿も買えないほど貧しいのかな、などと、負の感情が皿の向こう側に漂い始めます。では、この「秋風や」を「夏の風」と変えてみると、どうでしょう。青葉を揺り動かして、夏の風が吹き始めます。“模様の違う皿二つ”も、まるでキャンプに出かけた若者たちが使う皿のような、わくわくする情景に見えてきませんか。 このように私たちが感じられるのは、意識していなくとも、季節ごとに吹く風の表情の違いを、身体が知っているからです。その感覚と言葉が結びつくと、季語に託して、自分の複雑な感情を表現できるようになってきます。これは才能の有り無しに関係なく、トレーニングで鍛えられるものです。日々、身の回りにある季語にアンテナを立てることで、何気ない景色から学びが得られます。だから俳句を始めると、人生を三倍くらいの密度で生きているような気持ちになるんです。そして、ひとりで過ごす時間が、どんどん豊かになっていく。それは同時に、孤独というものが怖くなくなることでもあります。 「私にはそんな表現力はない」「言語化が苦手だ」。そんなふうに言う高校生がいたら、私はその子にこそ、あなたには俳句の素質があると言いたい。言語化が苦手だとわざわざ言うのは、自分の言葉の“伝わらなさ”に敏感な証拠だから。自分のことをうまく伝えられない。話が通じない。だから孤独だ。―そう感じている子にこそ、私は「一緒に俳句をやろうよ」と言いたいな。今号のオープニングメッセージ3取材・文/塚田智恵美 撮影/後藤さくらなつい・いつき●1957年生まれ。松山市在住。俳句集団「いつき組」組長。第8回俳壇賞。第72回日本放送協会放送文化賞。第4回種田山頭火賞。俳句甲子園創設に携わる。松山市「俳句ポスト365」等選者。初代俳都松山大使。『句集 伊月集 鶴』等著書多数。誌面に掲載しきれなかった、夏井いつきさんからの言葉をWebで公開しています。こちらも合わせてご覧ください。(10月20日以降にご覧いただけます)https://souken.shingakunet.com/secondary/2023/10/448opening.html2023 OCT. Vol.448“推

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