くことができるでしょう。でも、異国では違います。どうしたいのか、自分で意思をもち、伝えないとどこにも行けません。しかし、意思が伝われば意外と助けてくれる人がいます。意思さえあれば、目の前に道が開けていくのです。私が旅先を決めるのはだいたい知り合いの卒でインターネット系の広告代理店に入社。新人研修でFacebook作って運用し、いいね!数を競うことつてからですが、「一緒に料理を作って食べたい」と意思を伝えることで、受け入れてくれる家庭と出会えます。人との出会いによって旅をしていると、自分の予想を超える世界との巡り合いも。一つひとつの選択に意思をもち、世界につながる扉を開いていきたいです。になりました。もともと旅が好きでしたが、いいね!を押してもらうには旅だけでは弱く、海外旅行中に交通事故で九死に一生を得た経験から「死ぬまでに行きたい!世界の絶景」というコンセプトを考えました。このページがヒットし、のちに会社を辞めて独立。世界中の絶景を撮影し発信する生活が始まりました。ただ、私自身はもともと遺跡が好き新 ―なりました。では私が思う絶景とは何で、その地域のもつ歴史や文化に触れられる旅が好きだったのです。近年「映え」といった言葉が流行り出し、ただフォトジェニックなものだけを追いかけていても誰でも真似できるような時代にのページをだろうと改めて考えてみると、景観の美しさに加え、裏側に唯一無二の物語ったんだ」という衝撃だったのでしょう。旅を通じて、それまで見えなかった選択肢に気づいたとき、僕たちはモヤモヤし、そのモヤモヤのなかで自分らしい生き方を考え始めるのかもしれません。旅を通じて自分の幸せを考え続けてきた僕が、それでも会社を辞めないがある光景だと思ったのです。例えばトルコのカッパドキア。初めて訪れたときは有名な気球に乗って満足してしまいました。しかし、のちにトルコについて学んだことで、じっくり見ずに通り過ぎてしまった洞窟都市のほうが気になり始めたのです。あの洞窟都市は、実は迫害されて移り住んだキリスト教徒が造ったものだった。たまたまそこが、火山灰が堆積してできた柔らかい岩石や凝灰岩だったため、削り出して隠れ場所を造ることができたのだと知り、その物語に私は強く惹かれたのです。昨年再びトルコを訪れ、改めて洞窟都市を眺めたとき、目の前の光景に地球と人の歴史を感じて心が震えました。絶景というと、ただ「眺めの良い景色」という印象をもつかもしれませんが、理由は「今の会社に勤めたままで、世界中どこにでも行けるから」。できないと思っていたことが案外できる。本当は今すぐ世界のどこにでも行ける。旅を通じて無意識の思い込みが外れたとき、自分らしい人生が始まるのだと僕は思います。人それぞれ何を絶景と思うかは異なります。知りたい。なぜか惹かれる。そんな自分自身の興味や好奇心に素直に従って、新しい場所にどんどん踏み出していった先に、その人にとっての「絶景」自分にしかできないことや、自分だから見られた景色が待っているはずです。特集 旅と学び15昨年12月、取材で再訪したトルコのカッパドキア。世界史を学び、その物語に惹かれたことで、そこにある「絶景」に気づく。2024 APR. Vol.450人それぞれに「絶景」がある。景色の背景に悠久の物語を求めてしほ●1990年生まれ。累計63万部を突破した書籍『死ぬまでに行きたい!世界の絶景』(三才ブックス)著者。YouTubeでは「#絶景で学ぶ世界史」の企画を配信。
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