キャリアガイダンスVol.450
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ありません。当時流行っていた、英国の支配階級や貴族の子弟が学業の仕上げとして行うグランドツアー=教養旅行の目的の一つは、イタリア各都市に駐在する大使や貴族のサロン、アカデミーに集う人々との交流でした。そこから新たな芸術や学問が生まれたわけですが、ゲーテの興味もまさにそこにありました。本人も書いているように、イタリアの旅は、自らが生まれ変わることも目指した教養の旅であったのです。ゲーテの例を出すまでもなく、旅をすることと成長することは相性が良く、人間形成的に大切な意味をもちます。旅を通じ、「私」という自己意識の輪郭がはっきりするからです。ちなみに、西洋において「私」という概念が明確に表れてくるのは18世紀に入ってから。それまで、特に中世のヨーロッパでは、自己意識は神との契約、あるいは共同体との強い結びつきのなかに埋没した状態にありました。自己意識という概念がクローズアップされはじめるのは近代に入ってからです。ただし、そうなると今度は、自我に目覚めた「私」が、私を取り巻く「他者」との関係をどう引き受けるか、という新たな課題が各自に突き付けられることになります。そうしたことも背景に、当時流行ったのが、後に教養小説と呼ばれる、世界とのやりとりを通じて人間的成長を果たす成長譚の一群です。例えば、教養小説の代表といわれる、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』は、富裕な商人の息子が、狭苦しい境遇を嫌って家を飛び出し、旅に出る物語です。旅の途上で出会いを繰り返し、さまざまな境遇に身を置き、人生経験を豊かにした彼は、やがて果たすべき社会的使命に気づくのでした。この大作を執筆した背景に、ゲーテ自身のイタリア旅行の影響があることは想像に難くありません。さて、旅の姿は産業革命によって大きく変貌します。それまでの移動手段といえば馬車であり、ゲーテが描写した前述の風景も馬車の窓から見たものです。それが蒸気機関車にとって代わることで、時間と空間の概念は崩れ、車窓の風景は、次々と現れては消え去っていく目まぐるしいものとなりました。 『鉄道旅行の歴史』(W・シヴェルブシュ)に詳しいのですが、旅の情緒が減る一方で、鉄道の登場は意外な習慣を旅人に根付かせました。読書です。長い時間を要した馬車の旅と異なり、鉄道では相乗りした他人と無理に交流する必要がありません。そこで、旅の形は時代によって変化しますが、        旅のもつ人間形成的意味は今も変わらず存在しています。個人的に、大切だと思うキーワードは、他者性と車内で読書をするようになったのだとか。その様子は、黙々とスマホの画面に見入る現代人の姿に重なります。偶発性。自分ではコントロールできない自分以外の何かとつながる経験です。旅に喩えられることが多い「人生」にも同じことがいえると思います。例すべてをコントロールしようとせず、偶発性も楽しむ近代的な自我の目覚めによって自分と他者との関係が問題に蒸気機関車が奪った時間・空間の概念と見知らぬ人同士の交流特集 旅と学び172024 APR. Vol.450神戸女学院大学文学部奥野佐矢子教授おくの・さやこ●専門は教育哲学・人間形成論。学校教育に留まらない、人生のあらゆる局面で起動する「学び」を扱う。多様な文化・価値の混在する現代社会で「私」の認識や行為はどう創られるのか。英米圏のアイデンティティ政治学やフェミニズム研究などを手がかりに、今日的な人間形成モデルを探る。写真は、神戸女学院キャンパス内ソールチャペルにて。

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