othersえば人生の最初から自分自身で「こうなりたい」と決めたゴールに向かって、すべてをコントロールしながら最短距離でたどりつける人は少ないのではないでしょうか。むしろ人生の旅路において、予期せぬ出会いや偶然の導きによってもキャリアは築かれていくわけです。ただ、そうしたことは年齢を重ねて人生を振り返るとわかるものですが、若い学生さんたちには実感しにくいことかもしれません。特に最近の学生さんは失敗を恐れて慎重になるあまり、結果として効率を重視したり、最短距離を選ぼうとして、そこにある豊穣なものを切り捨てているかもしれません。例えば、海外留学の際に、就活に間に合うよう短期のプログラムを選択する学生や、卒論執筆にあたり、読まなくてはならない本を最低限にしぼり、それ以外の本を読むことは無駄ではないかと考える学生など。けれど、長期の海外生活によってこそもたらされる経験や気づきがあるでしょうし、一見無駄のように思われる読書をどれだけ積み上げたかが、卒論に厚みをもたらすのです。効率重視の選択肢だけで構成された人生は、整ってはいても、どこかつるんとした印象が残ります。旅行でいえば、安全で効率的ではありますが、自由行動がないパックツアーのようといっては言い過ぎでしょうか。近年は、個人旅行であっても、スマホ一つで詳細な情報を得ることはもちろん、現地の人とひと言も交わさないまま、移動も食事も宿泊も可能です。自分ですべてを思い通りにコントロールできる旅は確かに快適かもしれませんが、他方ですべてが予測の範囲内であり、ゲーテが感じた自分が生まれ変わるような圧倒的な経験からは遠ざかっていくような気がします。思うに、私たちがすべてをコントロールしようと欲するのは、「もし失敗したら自分は立ち直れない」など、失敗という経験を、リスクとして恐れすぎているからではないでしょうか。あるいは、失敗しても何とかなるという自信や、土壇場でこそ発揮できる自分のポテンシャルを低く見積もり過ぎているのかもしれません。「失敗しても何とかなる。むしろ予想外のことが起こるなんて、楽しい」という偶然性への信頼があれば、すべてをコントロールしようと躍起になる必要などありません。だから、私はこう伝えたい。失敗や無駄もまた、経験である、と。失敗したり遠回りすることは、あなたが心配しているほどのリスクではないし、そういった経験でこそあなたの可能性が花開くときもある。あなたのもつ可能性が、人生のどのタイミングで引き出されるかはわからない。だから、いつもいるところから離れ、違う環境に身をさらすことも大切だよって。 「教育哲学あるいは人間形成論から見た旅とは」と聞かれたら、他者)と出会うものと答えます。他者とは「他のもの」を意味し、自己以外のものを指します。他者は人とは限らず、過去の自分だって他者かもしれません。簡単に言えば、自己に対して違和感を感じさせるものすべてを他者といっていいかもしれません。 ( 同年代で構成された教室のような狭い空間のなかでは、自分と他者との違いを際立たせる経験が排除されがちです。変なことを言って空気を悪くするのが怖いから違和感を共有しないよう気を遣う。そうした息詰まる状態を解消する簡単な方法は、異化作用をもった他者を入れることです。例えば異学年の生徒や地域の高齢者など、差異を際立たせる存在を入れることで、違いがあってもいいことに安心する。「こう思い込んでいたけど、それだけではないかも」など、それまでと違う発想が生じやすくなります。自分から外に出て、異化作用を促す他者と関わるのも同じこと。それこそ旅の醍醐味です。せっかくの旅の経験を、いつもの気の合う仲間から「いいね」をもらうためだけに終わらせてはもったいないと思います。違和感を共有することを怖がらない。思い切って現地の人に話しかけてみる。そうした小さな勇気が旅の経験を豊かなものに変えてくれるはずです。同じ場所に行っても、出会った人や、体験した内容によって印象は人それぞれ違います。一斉に行動することが多い修学旅行においても、生徒一人ひと旅の醍醐味は、違和感を呼び起こす他者との出会い旅は本質的には個人的な営みけれど一人ではないことも知る建築家ヴォーリズの細緻な設計が美しい神戸女学院キャンパス。2024 APR. Vol.45018
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