キャリアガイダンスVol.453
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社に転職しました。法人向け金融商品の部署に配属され、念願の情報発信の仕事も行えるようになりました。しかし、リーマン・ショックの影響で部署が解散。異動後の仕事には魅力を感じられず、早期退職を決め、小規模なファンド会社に年間契約社員として転職しました。妊娠が発覚したのは、その会社1年目のことでした。女性が出産後も働くことに対する理解も制度も今ほどない時代。「契約更新できない」と言われ、辞めざるを得ませんでした。ショックでした。しかし、働いて私を大学まで行かせてくれた母の姿を見ていたからか、専業主婦になろうとは思わず、コンサルティング会社の業務委託で細々と仕事を続けることに。その会社で幸運だったことは、起業を目指している同僚がいたこと。「そんな選択肢もあるのか!」と気づき、「私も起業してみたい」との思いが芽生えたのです。最初、わが子のオムツかぶれに困った経験から、肌に優しいオムツの製造・販売を思いつきました。メーカー業務を学ぶため、バッグメーカーで働いたりもしました。しかし、具体的に動き出そうとすると工場探しや設備費用の壁にぶち当たり、知り合いの経営者の方に相談。「子どもが成長したあともオムツに情熱を注ぎ続けられるか。自分が好きなことをテーマにしたほうがいいのでは」というアドバイスを頂きました。あれこれ考え、浮かんだのがワンピースです。私はワンピースが好きで仕事のときによく着ますが、生地の硬さやポケットがないことなど不便を感じていました。それなら自分が欲しいと思うワンピースを作ってネット販売しよう。そう思いついたのです。事業を始めるにあたって、どうしてもやりたいことがありました。売上の一部を子ども支援活動団体に寄付することです。妊娠で会社を辞めることになって落ち込んでいたとき、偶然インターネットで紛争地域の怪我をした子どもの映像を目にしました。「自分で人生を選べる環境にいて嘆いてばかりいられない」と思うと同時に、「自分にできることをしたい」と。金融業界で働いてきた私にできることは、資金を融通することだと考えたのです。そんなチャリティーの側面も評価され、百貨店の期間限定出店に声がかかるなど事業は順調に滑り出し、周囲に助けられながら育児と事業に奔走する日々を送っていました。ひょんなことから、生理用ナプキンの製造・販売という新たな事業に取り組み始めました。重い生理に苦しんでいた私に、知人が布ナプキンを勧めてくれたのが発端です。布ナプキンは洗濯がネックですが、リサーチしてみると、コットンの消費は自然を循環させることになるため、洗わず捨てても環境への影響は小さいことがわかってきました。肌にも自然にも優しい、使い捨てできるコットン製の布ナプキンがあったら助かる女性は多いのではないか。その考えに仲間2人が賛同してくれ、共同でフェムケアブランドを立ち上げることになったのです。生理用品に携わるなかで問題意識が高まり、最近、妊娠とキャリアをテーマに大学や男子校で講演を行うようになりました。日本社会は親子に冷たく子育てしながら働きにくいと言われるなかで、子どもをもつこと自体にネガティブな若い人が増えているように感じます。子どもの明るい声が聞こえてくる未来のために、男女問わず人体や出産の知識を備え多様な選択肢に気づき、子どもをもつことについて考えるきっかけになればと思い活動しています。こうしてキャリアを振り返って気づくのは、「未来をつくる」という共通点。金融面からの事業者の後押し、ワンピースを通じた働く女性の応援、寄付による子どもたちの未来への投資、若い人への講演活動…未来をつくっているのだという実感が、私の原動力になっています。想定外の出来事や失敗も多かったこれまで、たくさんの人と出会い、多様な生き方や考え方に触れ、支えられてきました。その一つに、キャリアは「積み重ねる」のではなく「つなぐ」ものというキャリア論があります。大事なのは、次にくる新しい環境や役割に、いかに自らが培ってきたものを活かし、主体的につないでいくか。その考え方に励まされながら、自分の心に従い流れるように過ごすなかで、キャリアがつながっていった。私は運が良いのでしょう。しかしながら、運を動かすには、まず自分が動く必要があるのだと思っています。女性のキャリアにおいて、妊娠・出産をネガティブな出来事と捉える人も多いかもしれません。しかし私の場合、この機会こそが、私のキャリアを豊かにしてくれるものでした。私が中学生のころ、父親が経営していたスポーツ用品店が倒産しました。両親は離婚し、その後は小学校教員だった母が家計を支えてくれました。そんな母の姿を見てきたからか、経済的に自立できる仕事に就きたく、公認会計士を目指して大学に進学。しかし、教授が同じ高校出身というご縁でマーケティングのゼミに入ると、「金融業界でマーケティングに携わりたい」という新たな目標をもつように。マーケティングを学んで父の商売が行き詰った原因も見えてきて、金融機関が適切な情報発信を行うことで中小企業の力になりたいと考えるようになったのです。卒業後は三井住友銀行に総合職として入行。約3年間でさまざまな銀行業務を経験しました。しかし、やりたかった情報発信の仕事はできないままで、「そういう部署に行くには10年かかる」と。それならほかの会社でやろうと、金融経済メディアの記者になりました。その翌年に結婚。刺激的な経験ができたものの早朝・深夜も働くハードな生活には疑問を感じ、また記者の仕事には外野から情報発信しているような違和感をもつように。金融経済の内側から発信する仕事を求め、証券会やりたい仕事を求めて金融業界を転々自分の好きなことで起業し社会への還元も図る2025 JAN. Vol.453私を創っていく機会と選択11           

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