キャリアガイダンスVol.453
13/66

と漠然と憧れを抱き始めた大学1年生の冬に、父が亡くなりました。もともと養鶏場を営んでいた実家では、私が高校生のころに父が近所の農園を引き継ぎ、花の観光農園を始めていました。ただ当時の私はまったく興味なし。仕事人間で厳しい父とはあまり会話がなく、私に家業を継ぐ思いなどまったくなかった。そんななかいきなり父がいなくなり、母が経営を継ぐもののドタバタ状態です。私も繁忙期には帰省して、アルバイトで農園を手伝うことにしました。そして大学2年生の春。満開のチューリップ畑の前で接客をしていた私は突然声をかけられたのです。「あなた、いいところに住んでいるわね!」 おそらく都心部からいらしたそのお客様はこの農園、そして世羅の町がいかに素晴らしいかを、勢いよく私に語り出しました。ここはそんなに褒めてもらえるような場所だったのか。聞いている私の胸の奥がどんどん熱くなっていきます。自分の内側で何かのスイッチが入ったような感覚に。よく知った町が、それまでとはまったく違うように思えてきたのです。そのとき自分の内側で生じた熱は冷めることがなく、大学卒業後、地元に戻り実家の観光農園業を継ぐことを選択しました。今思えば私は、お客様の言葉によって「ここにしかないもの」の可能性に気づかせてもらったのだと思います。このあたりは標高が高く気温が低いので、市街地より花が遅れて咲きます。ちょうど5月の連休にかけて春の花が満開になり、市街地では育てにくい花を育てるのに向いている。広大な土地があり、都心では得られないような一面の花畑の感動を味わえる…。アクセスの利便性や都会らしい華やかさ、新しさといった「ここにないもの」にばかり意識が向いていた私が、「ここにしかないもの」に気づいた。しかもそれらは、地形や気候に由来する、そう簡単に変わることのないもの。その「ここにしかないもの」の価値を、花や観光サービスを通じて町の外に向けて届けたいと考えるように。そして修行を経て20代で代表になった私は、農園の大改革を決めました。花の種類や植える時期など工夫を重ね、経営を学び、数千万円の借金をして園の施設や花畑の大改修を実施。世羅高原ならではの体験を、さまざまな客層のお客様にお届けしたいとチャレンジしました。すると地道に続けたことの成果が表れ、入場者数や売り上げ数が右肩上がりで伸びていったのです。このことで自信がつき、2007年に創業時からの「旭鷹(きょくほう)農園」という社名を「世羅高原農場」に変更しました。地元では私は群を抜いて若い経営者であり、町の名前を冠した社名をつけるのはかなり勇気がいりましたが、「私たちの仕事はこの町を発信していく仕事なのだ」と、不退転の決意を社名に込めたのです。気持ちが固まったころに、たまたま地方新聞からコラム執筆の依頼を受け、町の良いところを発信できる機会だと喜んで引き受けることに。メディアに取り上げてもらう機会も増えていき、新しい企画を立ち上げたり、花の種類を増やしたり。そして今や運営する観光農園は4つに。現在5つ目の施設の開園に向けて取り組んでいるところです。2024年春に開催した「世羅高原春の花めぐり」では総計17万7000人のお客様にいらしていただきました。この数字は世羅町の人口の約12倍にあたります。高校時代の私には、それほどの観光客が地元に訪れている未来も、この地で働いている自分の姿も、まったく想像できませんでした。自分の住む町が嫌いで「こんな田舎には何もない」と否定的な捉え方をしていた、あのころの私のままなら、挑戦するタイミングが目の前に訪れたとしても、気がつかずにスルーしていたかもしれません。前向きに、「今ここにあるもの」の良いところを見ながら取り組んでいると、やってくるチャンスに全力で乗ることができるのです。チューリップ、ひまわり、ダリア…。どの植物も、花が咲くのは一年にたった一度です。私たちはその一瞬のチャンスにかけて1年間全力で取り組みます。天候など状況は毎年変わり、いつ咲くか、どう咲くか、そのとき周りの環境がどうなっているのか、事前に予想はできません。それでも、来たる機会を必ずつかむため、咲くことを信じて取り組み続ける。その前向きさが未来を切り開くのは、きっとキャリアも同じですね。広島県の中東部に位置し、なだらかな―          山の連なる地域、世羅高原。この地で生まれ育った私は、幼いころから自分の住む町のことが大嫌いでした。自宅があるのは山の中で、見渡すかぎり自然の風景。学校までは遠く、帰りは山道を上ることになり、体の弱かった私には苦しい日々でした。中学3年で担任の先生からたまたま紹介されて、世羅の町から離れた福山市の高校に進学し、寮生活を送ることに。地元から離れたい思いは一層強まり、県外の大学に進みました。もう地元に戻るつもりはない。将来は都会の企業で、メディア関係の仕事に就けたら、「いいところに住んでいるわね」心がどんどん熱を帯びていく「きっと咲く」その前向きさがチャンスに乗れる自分をつくる春のチューリップ畑。65,000㎡の広大な土地に200品種75万本のチューリップが植えられ、色鮮やかに開花するという。(右ページの写真は同じ場所。取材時は冬季の閉園中で、チューリップの植え付けを終えたばかりだった)。2025 JAN. Vol.453私を創っていく機会と選択13

元のページ  ../index.html#13

このブックを見る