キャリアガイダンスVol.453
17/66

験するのも良いだろうと思いました。そこで、学校外から教育に携わる仕事がないか海外も含めて調べるなか、たまたま見つけたのが、東日本大震災の被災地で認定NPO法人カタリバが行う教育支援の仕事です。私が教員になった年、東日本大震災は発生しました。その年、被災地の中学校と勤務校をオンラインでつないで交流したことがあり、現地の困難な状況を目の当たりにして「自分にできることはないだろうか」と思ったものです。その時の思いに背中を押され、被災地に飛び込みました。地元の大阪を離れ、宮城県女川町へ。そこでカタリバは地域と連携したスクールを開設し、小学生から高校生までの学習支援や心のケアを行っていました。私はその運営スタッフの一人として、子どもたちとの対話や、学校や企業と連携した企画などに、夢中で取り組みました。そこでの出会いが、以降の私のキャリアに大きく影響しています。一緒に働いていたのは、元は東京のビジネスマンや経営コンサルタントなど、さまざまな業界から、カタリバのビジョンに共感して集まった人たち。そして、本気で社会を変えようと取り組んでいたのです。圧倒的な当事者意識とロジカルなビジネススキルをもって、国や自治体を巻き込み、海外から資金を調達してくる…。そんな仲間のマインドや行動に大きな刺激を受けました。必死に学ぼうとする僕に、職場の皆さんは忙しい時間を割いてとことん付き合ってくれ、そのときに学んだマインドやスキルは、今でも仕事をするうえでの土台になっていると感じます。その間に地元大阪にいた彼女と結婚。家庭のことを考え、大阪に戻ることにしました。転職にあたって改めて考え、気づいたことがあります。自分は学校教育に興味があると思っていたけれど、その根底には、外部環境によって能力が発揮されない状況にいる人をなんとかしたいという思いがあるということです。思い起こせば中学時代も、周囲のレッテルによって力を発揮する機会が奪われることに、無性に腹が立ったものです。子どものころからの自分の習性とキャリアの軸が、すっとつながりました。そして、その軸があれば、教師や学校と離れた仕事でも、自分は満たされるのではないかと考えたのです。そして選んだのが、現在勤務する株式会社Lサービスの仕事です。「障害は人ではなく、社会の側にある」という考え方に基づいた支援のあり方に共感し、自分の軸に合う仕事だと思いました。また、カタリバの仕事を通じて「思いだけで社会は変わらない」と痛感していたので、理念を大切にしながらビジネスにも強い人材が豊富な職場で、思いを実現させるための力をつけたいと思ったのも、選択理由の一つです。入社後、配属された事業所で障害のある方を直接サポートする仕事から始め、事業所のリーダー、そして複数事業所を統括するエリアマネージャーへとステップアップしていきました。初めての業界なので、社内研修の受講だけでなく、自分で本を読んだり先輩に聞いたりしながら知識やスキルを身につけていきました。当社には部署の枠組みを越えたさまざまなプロジェクトがあります。僕も「明るく元気だから」とビジョン浸透イベントの司会を頼まれるなど、いくつかのプロジェクトにアサインされました。「やるならより良くする」という性分なので、自分から手を挙げたことでなくても、思いをもって意見や提案を発信していました。そんな姿勢を見ていただいたのか、管理部門に抜擢いただき、現在は事業部全体の働きやすい組織づくりに携わっています。日々難しさを感じていますが、ビジネススクールや社外コミュニティで学び、社内の現場感覚も大切にしながら取り組んでいます。従業員の皆さんから、「本来の業務に集中できるようになった」「生き生き仕事ができる」などと言ってもらえることが喜びです。こんなふうに私のキャリアは何度か方向転換し一見ばらばらです。しかし、子ども、障害のある方、従業員…と対象は変化したものの、「人が能力を発揮する支援」という一本の軸でつながっていました。岐路に立つたびに自分を掘り下げ、少しずつその軸に気づいていき、思いに正直に行動するなかで生き方を変える出会いがあり、やってきた機会に全力を尽くすうちに道が拓けた…。当初思い描いていたキャリアとはまったく違いますが、「悪くないな」と思える人生を歩んでいます。TALCOパートナーズの障害福祉II            恩師に憧れ体育教師になった僕が、なぜ今、障害者就労移行支援事業に携わっているのか。中学時代の原体験から振り返ってお話ししましょう。僕は中学生のころサッカー部のキャプテンをしていました。部員数が約90人と多く、学校が荒れていたこともあり、多様な生徒がいましたが、顧問だった体育の先生はどんな生徒でも平等に接して誰一人見放すことはなかった。私もそんな先生の姿に共感し、キャプテンとして分け隔てなく部員と関われた。だから最後は大会で大きな結果につながったのだと思います。「諦めずにやれば結果が出る」「関わり方で人は才能を発揮する」…多くのことを学びました。恩師のように、自分も中高生の生き方や成長に関わる存在になりたい。大学生活は遊んでばかりでしたが、最後はそう腹を決め、体育教師になったのです。1年間の中学校常勤講師を経て教員採用試験に合格し、配属されたのは特別支援学校でした。恩師のような教師生活を思い描いていた自分にとって、想定外の出来事です。それでも、多様な生徒との関わりには多くの学びがあり、悩みながらも日ごとに学校が面白くなっていきました。ただ、この先もやり続けたいかというと、少し違うような気がしたのです。元々、「さまざまな仕事を経験したほうが面白い先生になるのでは」という考えがあったので、いったん教員以外の仕事を経憧れの仕事を手放し出会った本気で社会に挑む人たち転職を機に考え気づいた自分がやりたいことの軸2025 JAN. Vol.453私を創っていく機会と選択17

元のページ  ../index.html#17

このブックを見る