最初の夢はネイリスト運命を変えた江戸切子との出会い日本の伝統工芸である江戸切子の職人として、切子の制作や後進の育成に当たっています。でも、もともと伝統工芸の職人を目指していたわけではありません。最初の夢はネイリストでした。幼いころからものづくりが好きで、高校生のころは友達にデコ電やネイルチップを作ってあげていました。それで喜んでもらえるのが嬉しくて、ネイリストになろうと決めました。ただ、そのためのスキルは自分でも身につけられるけれど、商売のノウハウは専門家から学ぶしかないと思い、大学は商学部を選択しました。しかし、マーケティングを学んでいた2年生のころ、ネイルサロンが増えすぎて、競争が激化していることを知りました。生き残るためには、カリスマ的なネイリストになる必要があります。その自信はなかったので、本当にこの道でいいのか、いったん立ち止まって考え直すことに。その結果、「やりたいことの本質は、自分の好きな手仕事で人に喜んでもらうこと」ということはわかったのですが、具体的に何をするかまでは思い浮かばず、悩んでいました。そんなとき、大学の図書館で検索した記事の中で、江戸切子で作られた化粧品の容器の写真が目に入りました。キラキラした繊細な文様に感動すると同時に、伝統工芸でありながらほかの分野の商品にもなれるという自由度に、江戸切子の可能性を感じました。興味をもってその容器を監修・制作していた堀口切子の代表の堀口氏(以下、親方)について調べたんです。すると親方は、伝統工芸を後世につないでいくためには、常に時代に合わせた革新的なものを必要とするという考えをおもちのようでした。これに感銘を受け、この人の下で働きたいと強く思ったのです。それで就職活動を考え始める大学3年生のころ、親方に「弟子にしてください」とお願いしたのですが、当時は人を雇うタイミングではないとのことだったので、諦めざるをえませんでした。唯一進みたかった道に進めず、自分の人生の道が閉ざされてしまったような絶望感に打ちひしがれました。でも、こればかりは自分の力ではどうしようもありません。気持ちを切り替え、大学卒業後はネイル関係の企業に総合職として入社。働きながらネイルの専門学校に通い、入社1年後にはネイリストとして働き始めました。しかし堀口切子の職人になることを諦めきれなかったので、毎日堀口切子のホームページをチェックしていました。そんなある日、「工房スタッフ募集」の一文が。すぐに再び連絡して雇ってくださいとお願いしたのですが、当時は女性職人がまだ少なかったこともあり、なかなか首を縦に振ってくれませんでした。しかし、このチャンスを逃せばいつ入社できるかわかりません。「私は切子職人になりたいのではなく、堀口切子で働きたいのです」と強く頼み込んだところ、ようやく入社を許していただけたのです。入社後は、簡単なカット作業や掃除、梱包、SNS運営など、さまざまな業務を任せてもらいました。今でもそれぞれの業務に楽しさややりがいを感じています。2019年には、自分が江戸切子新作展に出品した、不透明な色合いやマットな質感を取り入れた作品をきっかけに、親方から堀口切子の新ラインナップとして作ってみないかとお声がけいただき、堀口切子のブランドの制作・プロデュースをするようになりました。切子を作るときにはまず、自分自身が心地よいと思えること、そして使う人が心地よくなれることを大切にしています。仕事の最大のやりがいは、私が作った切子で多くの人に喜んでいただけること。私自身にとっても、切子を作ること自体が癒やしになっているんです。人生の中で最も多くの時間を費やす仕事で癒やされているわけなので、幸せな人生だと思います。死ぬ直前まで、使う人から求められるものを作っていたいですね。I5 「SENAMSAWA」、現在は「N」という三澤世奈さんのSNSはこちら!2025 JAN. Vol.453 □ 大学の講義で学んだことと、自分のやりたいことの本質とを合わせて、改めて職業選択について考えたことが今につながっています(高校時代の友達と)。□ 堀口切子の工房。ここで日々、江戸切子を作ったり、後輩の指導に当たっています。理想の環境の職場です。□ 作る際は、江戸切子の代表的な文様の意味を大切にしつつ、従来の堀口切子にはない新しい要素を提案したいという思いも込めています。
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