キャリアガイダンスVol.459
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やってもらったことを、日々の仕事で返しています多湾で漁師をしています。5月から7月は鯛などを獲るごちだと博多湾での漁業を次の世代につなげることができなくなる、と思うようになりました。例えば姪浜産の海苔は、以前は知名度のある有明産に値段で負けていたのを、地元の代々の漁師が味付け海苔など加工品も売り出し、30年かけて口コミで評判を呼び、全国に販路を拡大してきました。その灯を絶やさず未来につなげたい、という思いは、我々の代にもあるんです。そこで、どうすれば豊かな博多湾を取り戻せるか探ろうと、水産海洋技術センターなどの専門機関に教えを請い、漁師仲間で毎週、水質調査もしました。わかったことは、下水処理場の整備により、川から海に流れ込む水がきれいになりすぎて、海苔や魚の栄養分となるリンや窒素が不足していたことです。自分たちで声を上げ、市の下水処理場と定期的な話し合いを始めました。現在は、海を汚染しない基準を守りつつ、栄養分を除去しすぎない処理をする工夫をしてもらっています。思い返せば、父ちゃんたちの代の漁師は、植林もしていたんですよね。山に木を植えにいく。当時は「そう言ってみんなで酒を飲みに行きよるだけやろ」と見ていましたけれど。そうした取組も、山から川、川から海へと栄養を巡らせて、博多湾の漁業を次の世代につなげるためのものだったんだな、と今になって思います。網漁。8月から4月は海苔の養殖。海苔は市内の学校給食にも出していて、学校から依頼があれば海苔の作り方の出前授業もします。地元の消防団にも所属しています。水難事故があれば船で出動し、救助活動にあたるんです。夏の海水浴の時期には週1回くらい出ることもありますね。救助のための訓練も年に数回行います。地元の姪浜は、昔は漁師だらけの街博     でした。父ちゃんが漁に出て、帰ってくると仲間と一緒に酒を飲み、そこに子どもたちも交じって遊ぶ。そうした日常を通して、楽しそうな仕事だと思ったんです。漁師の朝は早く、目覚めると両親が家にいないこともあり、でも隣のおばちゃんが居てくれたりと、周囲に見守られながら育ちました。だから漁師になったときに、消防団にも入って海の見守りをしよう、と自然に思いました。地域のためとか大げさな話ではなく、自分がやってもらったことをやっている感じです。漁師を続けるなかで考えが変わったこともあります。最初は、漁に出れば魚が獲れるし、海苔網を海に張れば海苔が採れる、という感覚だったんですよ。ところが最近は、毎年毎年、今年が一番悪いというような漁獲量や生産量が続いている。自分たち姪浜の漁師はこの海を借りているのであって、このまま2026 JUL. Vol.45911のがみ・たかまさ●漁師の家に生まれ、親からは「厳しい世界だから継がなくていい」と言われ、大学卒業後に食肉加工会社の営業職に就く。5年後、自らの意志で漁師になり、消防団にも所属。福岡市の各区の消防団は、1月の出初式で披露する「まといぶり」という伝統芸能も継承しており、その担い手も務める。耕作放棄地を再生した梅畑にて取材・文/松井大助 撮影/大原拓也地域に根ざし、未来を織りなす仕事福岡市漁業協同組合姪浜支所 野上隆昌さん

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