キャリアガイダンスVol.459
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分断を緩和するクッションになりたいや在留資格の手続きをサポートしています。また、隣の伊勢崎市で外国人の子どもたちの日本語教室の代表も務めています。こうした活動を始めたのは、中学と高校をこの地で過ごすなかで、日本人と外国人の分断を感じ、何とかしたいと思ったからです。当時、日本語が不得意な外国人の生徒たちは仲間同士で固まり、一方で私たちも、言葉の壁があってその子たちと積極的に関わろうとしなかったんですよ。私が日系三世※で、宙ぶらりんの状外     態にいた影響もあります。日本で生まれ育ち、日本語を話しているのに、親の出生の関係で国籍はブラジル。ずっと葛藤がありました。大学生のときにブラジルに1年間留学すれば、ポルトガル語が下手で「国籍は同じでもあなたはブラジル人じゃない」とされる疎外感も味わいました。思春期に悩んだからこそ「過去の自分のような子どもに対して、力になれる大人でありたい」と思ったのです。大学卒業後、日本国籍を取るために帰化申請。書類を揃え、許可が下りたとき、初めて足元が定まったような感動を覚えました。と同時に、手続き面では古い情報や嘘の情報が出回っているのを痛感しました。私は、外国人に対する風当たりが強まっているように感じられる昨今の現状も、この「手続国人住民数の多い群馬県太田市で、行政書士として帰化申請きの問題」と無関係ではないと思っています。正しい情報にアクセスできずに手続きの不備が生じ、国が厳しい対応を取らざるを得なくなる。その背景が見過ごされたまま、メディアなどで双方の感情だけが拡散され、対立を生んでいるのではないでしょうか。外国人の方々に正しい情報、一次情報を、易しい言葉で伝え、「日本で胸を張って暮らせる」ように支援したい。そうして日本をより好きになってほしい。分断を少しでも緩和していくクッションのような役割を担えたら、と思うようになりました。まず試したのがポルトガル語での動画投稿。でも「何者でもない私」では支持されませんでした。そこで働きながら朝と夜に勉強し、3年かけて行政書士の資格を取り、開業しました。とはいえ当時は20代の若輩者。地域ですぐ信頼されたわけではありません。群馬県行政書士会太田支部に入り、積極的に運営のお手伝いもし、地元でずっとやってこられた先生方と交わりました。そうした地域のキーパーソンの方々は、若い人のバイタリティを求めてもいて、多方面につないでくださったんです。日本語教室の子どもたちには、「小さなことからでいいので、好きなことを怖がらずにやってみよう」と伝えています。「やりたい」と思ったことの勉強は何歳からでもできるんだ、と、私自身も身をもって学んだからです。2026 JUL. Vol.45914地元の太田市美術館・図書館にていでぐち・むつみ●中学や高校を群馬県太田市で過ごし、大学でブラジルに留学。大阪で商社に勤め、結婚を機に鳥取県へ。行政書士の資格取得後、外国人支援のニーズの高い太田市に家族で戻る。高校時代は勉強よりもバンド活動に熱中。「私が行政書士になった、と当時の先生が知ったらびっくりされると思う」とのこと。※日系三世…日本から海外に移住した日本人の第三世代。井手口さんの場合は、祖父母がブラジルに移住、現地で生まれた父母が日本に戻り、以降に生まれた。このケースでは出生時は親と同じブラジル国籍となる。取材・文/松井大助 撮影/中村かをりam国際行政書士オフィス 代表行政書士井手口睦美さん

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