カレッジマネジメント192号
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19彼らをケアする体制が整備されてこなかったという。札幌大学が学生の状況に十分に対応できなかった理由は、松本理事の説明を踏まえると次の3点にまとめられる。第一に、学部自治の強さが挙げられる。各学部の教員は「良い教育をしたい」という思いを持っているものの、各学部に意思決定を委ねていると、そのような思いが「専門教育を高度にする」という方針へと具体化されてしまいがちだ。しかし、基礎学力や学ぶ力が十分に身についていない学生に対する「良い教育」と「高度な専門教育」は必ずしも一致しない。第二に、教養部の廃止が挙げられる。札幌大学では、1995年3月を以て教養部を廃止し(図表1)、教養部に所属していた教員を各学部に割り振ることとした。それにより、学生の基礎学力や学ぶ力の育成に責任を持つ組織がなくなり、専門教育を高度化しようという学部の志向性に対して、それを補完、若しくは、抑制することが困難になった。その結果、「学生のニーズと教員の教育に対する希望とがミスマッチしていた」のだった。第三に、既述のようなミスマッチが看過されてきた要因として、経営上の安定が挙げられる。少なくとも、1990年代までは学生募集の状況も良く、財政上も安定していた。つまり、「お金もあるし、学生もいる」という状況認識が広がっていたことにより、現状を改善しようという運動が起こり難かった。以上の状況が相俟って、組織的・規模的発展の「影」が生じ、それが看過されてしまった。松本理事は、当時を「幾つもの誤った判断や認識が重なってしまった」と振り返る。とはいえ、事実として札幌大学は改革に動いた。それでは、改革に向かった背景とは何だったのだろうか。直接的な契機として、学生募集と経営の状況悪化が挙げられる(図表2)。2004年度入試では2.7倍であった出願倍率が、2007年度入試では1.7倍へと落ち込んだ。また、入学定員充足率についても、2006年度入試以後は100%を割った。もちろん、入学定員充足率が100%を割るということは、人口減少が進む北海道の大学としては決して珍しいことではない。とはいえ、入学定員充足率が70%台となる年度もあるなど、学生募集の不振は経営状況に確実に影響したという。さらに、一学群化という改革に先立ち、札幌大学では教育改革を試み、頓挫するという状況を経験していた。この改革は、教養教育の充実を図り、そのための全学共通の枠組みを策定するというものだった。しかし、枠組みとしての「札幌大学スタンダード」は2008年に理事会で承認されたものの、「誰も実行しようとしないまま年月が過ぎる」という事態が発生した。こうした状況の中で、2011年度に桑原真人氏が学長に就任することとなった。これまでの経緯を踏まえれば、ある種の閉塞感の漂う札幌大学において、その状況を打開することを期待されて当選したのが桑原学長だったのだ。さらに、改革を進める条件の一つとして関係者が挙げるのは、大学改革に対する理解のある理事会・理事長の存在だ。一般に、学校法人の理事長は、非常勤であることも多く、それゆえ実質的な権限を果たしづらいケースが散見される。他方で、札幌大学では、2005年度に理事長職が常勤化された。さらに、2009年に就任した佐藤理事長は、大学改革に前向きであり、学長ら大学執行部に対リクルート カレッジマネジメント192 / May - Jun. 2015特集 変革のドライブとなる組織運営改革学長・理事長の協力体制が改革の契機に図表2 学生募集状況の推移山田玲良 理事・副学長桑原真人 学長佐藤俊夫 理事長0 500 1000 1500 2000 2500 3000 3500 4000 4500 2014 2013 2012 2011 2010 2009 2008 2007 2006 2005 2004 0 1 2 3 (人) (年度) (倍) 2.7 2.3 2.0 1.7 1.5 1.8 1.8 1.4 1.7 1.9 2.4 出願者数 募集人員 出願倍率
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