カレマネ
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25リクルート カレッジマネジメント193 / Jul. - Aug. 2015「今の小学生が社会に出る頃には、その65%が現在は存在していない職業に就くだろう」と予測する学者もいます。別の学者は「今後20年程度で現在の仕事の半数がロボットによって取って代わられる」と予測しています。私達今の大人が想像するよりもはるかに大きな変化が、子ども達の時代には訪れる。そうした時代を豊かに生きるためには、それに対応する能力を今から子どもたちに身につけさせておかなければなりません。──日本社会特有の少子高齢化の問題もありますね。 労働人口も消費人口も、GDPもこのままではどんどん減っていく。放っておいたら日本は世界に立ち遅れ、経済的にも凡庸な普通の国になってしまう。このことに私は強い危機感を抱いています。もちろん労働人口の減少を全て移民労働力で補うことなどできません。となれば、一人ひとりが持てる能力を今まで以上に発揮し、生産性を高めなければならない。子ども達の潜在能力を引き出すのは一にも二にも教育の力であり、役目だと思うんです。 職業の形も、会社の仕事も、人々の生活も変わる。そういう社会で生きようとするとき、若者に求められる能力は何か。まず求められるのが、課題に対して主体的に取り組む能力でしょう。これがあれば、どんなに時代が変化しても、それに対応していくことができる。課題を解決するためには、単に言われたことをやるだけではだめで、よりクリエイティブな企画・創造力が求められます。その一方でロボットやコンピュータには持ちようのない、優しさや慈しみといった人間特有の心や感性も忘れることはできません。 また、グローバル化が進む時代には、それに対応する能力の形成も重要な課題です。国際共通語としての英語力はもちろんのことですが、同時に自国の歴史や文化についての知識、つまりアイデンティティの形成といったことも欠かすことはできない。両方を身につけることで初めて世界どこででも仕事ができるようになるのですから。 子ども達のそれらの能力を最大限に伸ばすためには、暗記して終わりというのではなく、色々なテーマを子ども達自身に議論させながら考えさせる、アクティブ・ラーニングと呼ばれるような授業形態がもっとあるべきだと思いますし、入学試験も、単に知識の量を競うのではなく、思考力、判断力、想像力、表現力などを多面的に評価できるようなものに変わるべきだと考えています。ノーベル賞受賞者の差は何を意味するか。利根川進氏の提言──海外の大学と比べたときの国際競争力の強化も、重要なポイントになりますね。 今回の大学改革をめぐっては象徴的なエピソードが一つあります。1年ほど前のことですが、文科省が大学改革に取り組んでいることを聞き、ノーベル賞受賞者の利根川進さんがわざわざアメリカから私を訪ねてこられた。利根川さんが言うには、日本では最難関の大学学部といえば東大の医学部だが、この100年間、ノーベル賞受賞者は出ていない。ところがアメリカのシカゴ大学は受賞者を89人も輩出している。この違いはまさに、自分の大学・学部がどういう人材を育てるのかを明確にしたアドミッション・ポリシーがあるかないかの違いだと言うのですね。 日本の大学では、18歳時点での暗記能力をピークに入学者を選抜している。ところがシカゴ大学をはじめ多くの欧米の大学では、その学生が大学入学後、どのぐらい伸びるのか、入試ではその伸びしろを測っていると言うんです。その学生を入れたら、大学にとってどのぐらいプラスになるのか、社会にどれだけ貢献する人間になるのか。それを測るために、学力試験だけではなく小論文や面接試験を課して、高校時代のボランティア活動やリーダーシップ経験までも問う。大変手間のかかる入学者選抜の方法ですから、実施に当たっては大学の教員だけでなく、アドミッションの専門家や大学OBにも協力してもらっているというのです。 なるほどなと思いました。もちろん日本の大学の全てがノーベル賞の数を競う必要はない。ただ、東大の医学部ぐらいだったら、それを一つのバロメーターにしてもよいなとは思いますね。 私は、これからの時代は「オール5」タイプの子ばかりでなく、例えば数学オリンピックでメダルを獲ったとか、特定分野に秀でているといった異質な能力の人材も必要とされるようになると思う。そのためには知識の多寡だけではない、高校時代までの多様な経験や能力を評価するような選抜方法が不可欠になるのではないでしょうか。特集 2025年の大学
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