カレッジマネジメント196号
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全国で100万人いる教師がどういう環境の中で、どのような展望を抱きながら仕事に従事しているか、それを知る人はそれほど多くはない。大方の市民は、自分が関わったごくわずかな教師から、教師についてのイメージを作りあげているが、それは時にして現実から隔たっていることがよくある。例えば日本の教師の学歴水準は途上国並みに低く、世界最低のレベルという著者の指摘を意外に思う人はかなりいることであろう。また教師の仕事の過酷さは増す一方で、信頼と尊敬は失われ、専門家としての能力を向上させる条件は劣化しているという指摘もまた、多くの市民にとっては意外なことだろう。さらには近年の教員の大量退職とともに、都市部では教員の大量採用が始まり、教師の質の低下が起こっているという警告の切実さを感じ取る市民はどれほどいるのだろうか。世界の中でも日本の教師がその高さを誇ってきたのは、次の3つだったという。第一が高い教育水準、第二は高い給与と高い競争率、第三が校内研修を基礎とする専門家文化の伝統だった。ところがこの3つの特色が過去数十年の間に急速に低下し、劣化したと著者は警告している。今の教師はほとんどが大学卒ではないのか、それが途上国並みとはどういうことなのか、といぶかる市民はけっして少なくない。多くの市民が気づかないうちに、多くの国で教員の養成を大学院レベルに引き上げてきたからである。なぜ世界では教員養成が大学院レベルに引き上げられたのか。その理由は、日本以外の国では、教師とは「誰でもできる仕事」ではとうていなく、むしろ「誰にでもできない仕事」であるという事実を正面から認識したからだと著者はいう。これまでの歴史を振り返ってみれば、第二次世界大戦後、日本は教員養成を大学レベルに引き上げ、世界の最先端を切った。その当時、教員を大学レベルで養成している国はごく少数だった。ところが1980年代に入って、アジア、欧米先進国で教員の養成水準が引き上げられ、いつの間にか日本はこれらの国に追い抜かれてしまったのだ。いったい日本以外の国でどうして教員の養成水準が引き上げられたのか、その背景を理解することが必要である。教師の仕事は、同じ専門職といっても、法律家や医師や技術者とは異なって、一つの答えしかないものとは質が違う。様々な答えの中から、種々の条件を考慮しながら、一つを選ばねばならない高度な判断力を要する仕事だからである。一例を挙げるならば、マイナスとマイナスを掛ければプラスになることは、大人なら知っている。しかし初めてこのことを学ぶ子どもに、納得のいくように説明することは、それほど簡単ではない。現に世界の教科書を調べてみると、このことを教えるのに20通り以上の教え方があるという。この話が端的に示しているように、学校で教えられる知識は、大人の理屈ではなく、子どもの学びの過程に即して、まず教師が学び直さなければならない。日本以外の国ではこの点に着目して、教員の養成水準を大学院レベルまで引き上げた。本書を読んでいて印象づけられるのは、筆者の記述一つひとつには、独特の深みがあるということである。その理由は、著者の何気ない記述が様々な現場教師との深い対話の中から生まれた産物だからであろう。この点、古本漁りに終始している者にはとうてい書けない深みを持っている。この現代では一つの認識方法として貴重なあり方を示している。佐藤 学 著『専門家として教師を育てる─教師教育改革のグランドデザイン』(2015年 岩波書店)現実と隔たりが生じる教師像専門職として養成水準を引き上げた先進国

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