カレッジマネジメント196号
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55材を強調されても」という声は多い。国の補助事業に採択された大学では実に意欲的な試みが行われているが、「学部内でさえ協力を得るのは難しい」、「特定の教員と任期付きスタッフの頑張りでなんとかやっているが、既存組織の職員の協力が少ない」、「補助期間満了後に続けるのは難しい」といった声を聞く。全学的展開と定着こそ本来の狙いであるはずなのに、その点に最も苦労している様子が窺える。「経済的理由からアクティブ・ラーニングの授業を敬遠する学生もいる」という話を聞いたのは、経済的に恵まれた学生が多いと思われる都内の私立大学の教員からである。アルバイトや交通費負担の問題から授業時間外のフィールド調査等に参加できないことが敬遠の理由という。筆者自身、日常的に学生に接しているが、より積極的に授業に臨んでほしいと思う一方で、教養も専門も、授業も課外活動も、インターンシップも海外経験もとあれこれ求められながら、アルバイトもやり、就職活動に多大な時間を注ぎ込む学生を気の毒に思うこともある。4年間という限られた時間に、社会も大学もあまりに多くを求め過ぎていないだろうか。否定的な面を象徴する話が続いたが、改革を通して新しい芽は至るところに着実に育っている。そのことを含めて、実際にどのような変化が生じているかを丁寧に見極めることが大切である。教員の多忙化で危惧される教育研究基盤の弱体化大学改革の最大の目的は教育の高度化である。教員の教育能力の向上や教育方法の改善、カリキュラムの構造化等教育のさらなる体系化、学生の学修支援の充実、組織としての質保証等がその柱となる。職員が果たす役割も増してきたが、最終的には教員の意識と能力による部分が大きい。一般に教員は研究に関心が高く、教育には不熱心と見られがちだが、研究力の高い教員が教育熱心であり、学内運営にも協力的という例は決して少なくない。改革はともするとこのような教員に仕事を集中させることになる。例えば、「博士課程教育リーディングプログラム」は、幅広い分野でグローバルに活躍できるリーダーを養成するための教育プログラムであるが、コーディネーターやコアメンバーに研究業績の高い教員を据えることが多い。これらの教員は他に大型の競争的資金を獲得していることも多く、研究を続けながら、教育プログラムの運営に当たることになる。鈴鹿医療科学大学学長の豊田長康氏(元三重大学長)が2015年5月に公表した『運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究〜国際学術論文データベースによる論文数分析を中心として〜』では、理系を中心とした「日本の研究力(学術論文)の国際競争力は質・量とも低下している」、「学術分野の違いにより、その動態に違いがあるが、国際競争力の高かった分野ほど論文数の減少〜停滞が著しい」等の指摘がなされている。その上で、「国立大学の論文数の停滞・減少をもたらした主因は基盤的研究資金の削減(及びそれに伴うFTE研究者数の減少)であり、さらに重点化(選択と集中)性格の強い研究資金への移行が論文生産性を低下させ、国際競争力をいっそう低下させたことが示唆される」と分析している。(FTEはfull-time equivalentの略で常勤研究者に換算して何人分に当たるかを示すもの)科学技術・学術政策研究所が2015年8月に公表した『科学技術指標2015』と『科学研究のベンチマーキング2015』においても、「10年前と比較して、日本の論文数は横ばい傾向であるが、他国の論文数の拡大により順位を下げている」ことや「多くの分野において、論文数及び注目度の高い論文数(Top10%、Top1%)における日本のランクが低下している」ことが指摘されている。論文数の停滞と研究資金の減少の関係について、ここでは立ち入らないが、教員の多忙化も論文数の停滞・減少をもたらす大きな要因になっている可能性は高い。さらに、教員の多忙化は大学院生に対する研究指導に影響を与え、博士後期課程進学者の減少と相俟って大学院における研究者養成機能を低下させる恐れがある。このように多忙を極める教員がいる一方で、改革に批判的または無反応な教員もいる。「何年間も論文一本書いていない」、「昔ながらの内容と方法で教えている」、リクルート カレッジマネジメント196 / Jan. - Feb. 2016

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