カレッジマネジメント197号
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沈滞が伝えられる人文学の世界の中にあって、一人天馬空を駆けるがごとく、次々と力作を連発しているのが、本書の編者である。今までどの専門からも無視されてきた分野に、「メディア史」、「メディア論」という新鮮な切り口で切り込み、新たな次元を開拓しつつあるその姿は、はた目にも新鮮であり、また痛快である。しかも今回は、編者個人の単著ではなく、10人ほどの同志を糾合しての編著である。とかくばらばらな印象を残しかねない論文集でありながら、強力な一本の線を感じさせるのは、その背後には幾重もの議論の積み重ねがあったことをうかがわせている。その中で培われた強い知的連帯によって、相互に結ばれた集団であることを物語っている。誰しも若き日の思い出として、人生の一時期生命の綱として、将来の生き方を見定めさせてくれた雑誌がある。それは人間としての成長段階にフィットしただけでなく、個人を取り巻く時代環境を代表するメッセージの発信源だったのであろう。だから寿命の短い雑誌類の中にあって、それなりの期間生き延び、ある規模以上の青年読者層を集めることに成功を収めたのであろう。本書では『螢雪時代』、『葦』、『人生手帖』、『現代思想』をはじめ、『non-no』、『ぴあ』、『百万人の英語』、『電撃PlayStation』等13の雑誌が取り上げられている。それぞれの時代なりの世相を反映するとともに、その時代の青年層の声なき声を反映していた。だからこそ、それだけの期間、それだけの規模の購読者を獲得することに成功したのであろう。例えば『螢雪時代』と『人生手帖』は一時期、その時代を構成する二種類の対極的な青年層の深層を代表していた。改めて述べるまでもなく、『螢雪時代』は大学受験生という、その時代のエリート青年の欲望と不安を反映し、『人生手帖』は高校進学を果たせなかった青年層の声にならない声の表出口だった。その頃の高校進学率が5割だったことを思えば、その対象は容易に想像できよう。一方が「受験のための猛勉強をするしか能のない野暮な俗物」の読み物だったとすれば、他方は「進学できる力があるのに、自分より成績の下の奴が高校に行く現実に鬱屈した感情をかかえる若者」に応えるための読み物だった。だからこそ最盛期には『螢雪時代』が17万部、『葦』が7万部、『人生手帖』が8万部という発行部数を記録できたのであろう。しかしやがて世相は変化し、両誌とも読者層の変質とともに、雑誌の内容ばかりかその体裁も変更され、編集者も発行者も変わってゆく。やがては時代的な使命もまた終末を迎え、『葦』そして『人生手帖』は、ある時代のある青年層にわずかな記憶を残したまま、姿を消してゆく。一つの雑誌の誕生と死のなかに、ある時代を生きた若者の思いや期待や夢の生と死が浮き彫りされてくる。本書を読んでまず思ったのは、人文学の衰退の原因は、強力な知的センターの喪失にあったという事実である。一頃までは誰かリーダーがおり、そのリーダーが内に向けては知的吸引力を発揮し、外に向けては出版界との媒介者となり、人文学の存在意義を可視化させてくれた。ところがリーダーの小粒化とともに、リーダー当人の業績稼ぎの方が優先され、複数の同僚と行った共同研究の成果を、あたかも自分ひとりの研究成果であるかのように、個人著作の中にそのまま取り込むまでになった。人文学の衰退の原因は外側にあるのではなく、人文学そのものの内部に潜んでいることを、本書は教えてくれている。佐藤卓己 編『青年と雑誌の黄金時代─若者はなぜそれを読んでいたのか』(2015年 岩波書店)雑誌の盛衰の中にある若者の夢や思い研究集団の内部に潜む人文学衰退要因

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