カレッジマネジメント198号
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最近、日本の大学の国際的な評価は落ち続けている。日本国内でこそトップ大学と目されている大学も、その国際的な評価ではランキングを下げ、2004年には世界で12位であったものが、2015年には43位にまで落ち込んだ。その結果アジアの中でも、今やシンガポール、中国、香港、韓国などのアジア勢に追い込まれ、39位まで転落したという。さらには内向き指向が強まり、海外留学を目指す若者は減少を続け、経済協力開発機構(OECD)からその「内向き指向」に対する是正勧告が出されたという。ましてや海外からの受け入れ留学生数も13~14万人台を低迷しており、伸び悩み状態にある。それとともに日本の「ガラパゴス化」が克服すべき課題として提起されることとなった。かつては大学とは「その国の国民性の反映」とみなされていた。それぞれの国にはその国なりの独自性を持った大学があり、それを見るとその国民性全体を見て取ることができる。その独自性は貴重な個性であり、人々はその個性を互いに学び取り、刺激を受けるものとされていた。イギリスにはイギリスなりの大学があり、フランスにはフランスなりの大学があり、アメリカにはアメリカなりの大学がある。それらはその国の成り立ち、発展の中から作り出されたもので、それを学ぶことで自国にはない特徴を学べる貴重な仕組みとみなされてきた。大学をその独自性を無視して、お互いを一列に並べ、どこの大学がどこよりも上とか下といった形で比較することはなかった。むしろそれぞれの独自性に着目し、その特色と個性を学びとることが、比較の狙いだった。ところが今では各国の大学を様々な指標で並べ、その順位に一喜一憂する時代が到来した。ことの起こりは21世紀に入ってからのことである。最初公表された世界大学ランキングについては、指標の選び方、具体的な測定方法に様々な疑義が提起されたが、こうした作業は何回か実施していくうちに改善されていく。それとともに国際的な順位表は次第に権威を高め、今では誰しも無視することはできない仕組みとなった。本書の著者は長年国際的な企業に勤めた経験の持ち主で、大学に転じてからは、自分の大学の国際交流に尽力してきた人物である。海外の大学関係者と交渉したり、協議をする時、まず問題になるのが、自分の大学の国際的な評価である。相手方はまずその大学が国際的に見て、どの程度のランクの大学であるかを注視する。その時にものをいうのは、権威ある評価機関によってどの程度のランクの大学とみなされているかである。たしかに大学対大学という機関単位での交渉となると、こうした大学としてのまとまった評価、もしくは格が問われることが多い。しかし大学間の国際交流、特に研究交流ということになれば、それとは異なった次元がある。国境を越えた国際交流となると、まず問われるのは大学全体としての評価ではなく、交流を結ぼうとする相手方研究者個人の国際的な評価である。研究面ではたえず世界のどこの大学で、誰がどのような研究をしているのか、その研究はどれほどの独自性、革新性を備えているのかについて、それなりの評価がある。世界全体の流れの中でどれほどの地位を占めているのか、その評価があって研究交流に着手するか否かが決まる。恐らくその人物の所属する大学が、どの程度の格の大学であるかは、副次的なことであろう。このように大学の国際化とは、大学同士の組織対組織の交流よりも、それぞれの大学に所属する研究者相互の学問上の交流が基礎となる。綿貫健治 編『世界大学ランキングと日本の大学』(2016年 学文社)独自性よりも注目される順位国際舞台で問われる大学の格と個人の評価

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