カレッジマネジメント198号
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25たと教頭は述べる。「クリティカルシンキング」は時に「批判的思考力」と訳されることもあるが、それが必ずしも定訳というわけではない。ちゃんとした訳語がないということは、概念自体が日本に存在しないことを意味している。時代の先を読み、日本の教育に決定的に欠けているものを考え抜いた末にたどり着いたのが「クリティカルシンキング」だった。クリティカルシンキングとは、単に情報を受け入れるのではなく、事実と意見を区別して常に論理的であるかを考えるセンサーを持つことであり、欧米では小学校から教育の中に取り入れられている。今文科省が学力の3要素の一つに掲げる「思考力・判断力・表現力」に通じるものだ。国の議論を一歩も二歩も先んじてやってきたという自負とともに、今でもかえつ有明の教育の根幹に位置づいているものだと、前嶋教頭は胸を張る。ただ、クリティカルシンキングが大切だと言うだけで、学校がすぐに変わるということはない。今でこそ先鋭的な教育を実践しているかえつ有明であるが、改革に着手したのは今から約8年前。実際の学生の変化を手応えとして感じ始めたのはここ2年ほどだと振り返る。学校は変わりにくい組織だ。もとより先生達は、従来の知識詰め込み型教育における成功者だ。そんな成功体験を持つ先生達が時代の変わり目を敏感に感じることは難しい。「企業なら四半期だろうが、学校が変わるのにはもっと時間がかかる。気の長い作業だ」と前嶋教頭は話す。だから、学校を変えるために、繰り返し地道に話をしてきたという。中高一貫校の場合、学校が変わるには、入学してきた生徒が卒業していくまでの6年周期はかかる。その間に、理解者である先生達の数も3人から6人、そして10人へと少しずつ増えてきたそうだ。そして特にここ2年間で、プログラム実践を担える教員を新たに外部から採用し、実際にプログラムを展開できるようになって弾みがついたという。2014年にはビジョン「かえつ有明2020」を策定し、さらなる改革に向けて拍車を掛けている。他方で、かえつ有明は改革を進めるに際し、育成したい生徒像や目指すべき学校像を必ずしも明確に定めてきたわけではない。というのも、ゴールを明確にしてそこに向かって人を作っていくという姿勢が、これまで教育現場に重圧をもたらしたのではないかとの思いがあるからだ。前嶋教頭自身、自らの経験を振り返っても、「押し付け型の教育では子どもの眠っている才能を引き出せてあげられなかった。もしかしたら彼ら・彼女らの可能性を潰していたかもしれない」自戒の念を込めてそう語る。だからこそ「どんな学校にしたいかと聞かれれば、子ども達が自分の才能に出会える場、それぞれの持っている良いところが引き出される場を作りたい」という。そのためには教員の役割も変わっていく必要がある。これまでのように唯一絶対の正解や価値観を押し付けるのではなく、ファシリテーターとして一人ひとりの子ども達の可能性を「引き出す」ことがより一層重要になる。それがかえつ有明の見据える21世紀の学校・教員像だ。このように見れば、かえつ有明が実践する取り組みは、教育の原点に立ち戻ろうとするものだと言えるかもしれない。そもそも、教育=educationは、「潜在しているものを引き出す」を意味するeduceが語源だ。かえつ有明では、教員が共感的コミュニケーションを発揮して寄り添うことで、子どもの能力や可能性が引き出される環境を創出することが目指されている。前嶋教頭は「学校は一率で同一的でない、少し変わった子でも自己肯定感を持って生きていける空間であってほしい」とも述べる。そんな教頭の言葉からは、多様かつ包摂的で安心・安全な環境を整えることで、自分と向き合いながら誰もが成長できる学校を作り上げようとする、かえつ有明の明確な姿勢を読み取ることができる。リクルート カレッジマネジメント198 / May - Jun. 2016高校で行われるプロジェクト授業学校は自分の才能に出会える場特集 高大接続改革への「高校の挑戦」

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