カレッジマネジメント201号
2/68

この本は二種類の文章からできている。一つは緻密な統計分析にもとづく分析結果の報告であり、もう一つは一市民の心情から発する意見表明である。これを言い換えれば、前者は工学博士の文章、後者は広島大学、東京大学、桜美林大学などの文系学生を相手にしてきた老練教授の文章だということができる。まず本書の前半は、工学博士の文章で、そこでテーマとされているのは、大学進学率がなぜ50%程度で横ばい状態にはいったのか、その原因を明らかにした部分である。様々な先行研究を検討した結果、著者はこう結論づける。「全ての研究に共通している結果は、家計所得と授業料の二つに限られる」。言い換えれば社会全体の家計所得の平均値が上がれば大学進学率は上昇し、それが下がれば大学進学率も低下する。大学の授業料が上がれば、進学率は低下し、その逆に授業料が低下すれば進学率は上昇する。この分野のもろもろの研究結果がこれだとすると、多くの読者は肩透かしを食らった印象を受けることだろう。そこで著者は他の変数、例えば失業率、高卒・大卒の賃金比率等の変数を、大学進学率を説明する新たな変数として持ってくる。時間とともに変化する変数を、これまた時間とともに変化する変数で説明するには、それなりの守らねばならない約束事がある。著者はこの点についてはベテランだが、それだけ議論は専門的になり、一般読者からは遠ざかることになる。結局のところ、著者は各変数の効き具合によって、1966年から2012年までの50年ほどが三つの時期に分かれるという結論に至る。各時期の特徴の詳細は省くが、どう読んでも合格率がカギだということに落ち着くようである。ただそうであれば、なぜ面倒な統計分析が必要なのか、多くの読者が疑問を持つことだろう。1976年からは大学の抑制策の結果、合格率は低下傾向に入り、進学率もまた低下する段階に入った。1990年頃から18歳人口の減少とともに合格率が上昇する段階に入り、それとともに進学率の上昇段階に入った。これだけのことだったら、既に常識となっていたことで、面倒な統計分析を動員する必要が、どこにあるのだろう。あるいはこうした物言いは、著者に厳しすぎるかもしれない。しかし、著者の次世代に対する影響力の大きさを考えると、ここであえて苦言・疑問を避けるわけにはいかない。後半では著者のかねてからの持論である「親負担主義の克服」が説かれている。著者によると、大学授業料をもっぱら親の負担に頼るという日本特異な仕組みが諸悪の根源だという。そしてそれに代わる方式は全額公費負担しかないという。しかも著者の見立てによれば、それは「消費税1%ほどの税収」(218頁)で実行可能だといういったい大学授業料の無償化(=公費負担)は、今日の社会状況のなかで、どれほどの緊急性があるのだろうか、その根拠は書評子の見る限り示されていない。大学の授業料をタダにするくらいだったら、幼稚園の授業料をタダにすべきだ、保育園の保育料をタダにすべきだ、いやその前に高校の授業料をタダにすべきだ、当然こういう声が高まることだろう。さらには未成年者の医療費を無償化すべきである、そうではなくて高齢者の医療費自己負担の解消こそ優先的に実行すべきだ、という具合に、パンドラの箱を開ける結果になりかねない。現代とは欲望の時代である。各自がそれぞれの立場から利益の分け前を主張する時代である。著者がいかなる見通しを持っているのかが気になる。「消費税1%ほどの税収」で実現可能という計算だけではすむまい。矢野眞和 著『大学の条件』(2015年 東京大学出版会)著者ならではの二種類の分析授業料無償化を阻む欲望の渦

元のページ 

page 2

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です