カレッジマネジメント201号
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29リクルート カレッジマネジメント201 / Nov. - Dec. 2016を学んだのか」、学んだ結果として「学生は何ができるようになったのか」が重視されるべきであるという、基本的な考え方の転換である。このように学習成果(Learning Outcomes)を重視するトレンドこそが、大学教育を「個人の教育活動」から「組織の教育活動」へと再構築する動きを後押ししているのである(川嶋、2008)。3つのポリシー策定は、全世界的に進展しつつある、新たな教育・学習観に基づく改革に対応して、大学教育を大きく見直すという意義がある。教職員の能力開発・組織開発の機会としての意義第三に、教職員の能力開発ならびに組織開発の機会としての意義である。日本の大学のカリキュラムについては、体系性の欠如や質保証システムの脆弱性等が既に指摘されている。例えば、国外の研究者から日本の大学は以下のような指摘を受けている。「学問の自由という名のもとに、そして学問の専門性という特質に対する信頼のもとに、日本の大学教育は、ほとんど教員個人に任されてきた。彼らは、シラバスを自分自身で作成し、授業で教え、学生向けに試験を用意し、採点を行っているが、これらは外部評価や同僚の確認も全くなしのままに行われている。その結果、素晴らしい授業はあるにしても、多くは単調で、つまらないものになっている。そして、学部で開講されている授業科目間には、全く関連づけがなされていないのである。これは学部を超えても同様である」(Goodman, 2006)。このような指摘を踏まえると、日本の大学にはカリキュラムは存在しておらず、個人の教育活動が集積しているだけだとも言える。「カリキュラムの属人化」とも言うべきこの問題こそが、カリキュラム改革において大きな障害となっていることは間違いない。この問題の原因は複数想定されるものの、その大きな理由の一つが、大学教職員自身が、カリキュラムをいかに設計し、運用し、評価し、改善していくかという、カリキュラム・マネジメントの手法について知らないことである。カリキュラム論の大家であるタイラーは、「全ての教師や教育課程作成者は、ある種の学習理論に基づいて作業をしなければならない」(Tyler,1949)と述べたが、日本の大学の実態はこの理念とはかけ離れていると言わざるを得ない。3つのポリシー策定の取り組みを、政策や外部評価への対応、あるいは産業界の要望への対応としてだけではなく、教職員がカリキュラム・マネジメントの手法を学ぶ機会にする、つまりFDやSDとして捉えることが必要ではないだろうか。3つのポリシー策定の担い手は誰かこのように3つの視点から3つのポリシー策定の意義を考えた場合、策定の担い手として想定されるのは誰であろうか。第一の意義だけを考えれば、管理職や外部評価担当教職員が策定に取り組めばよいのかもしれない。しかしながら、第二・第三の意義を考えれば、大学を構成する教職員全員が関与すべきであろう。教育機関というものは、ゴールが複数あるサッカーゲームのようなものだとたとえられることがある。とりわけ大学は、学習指導要領が存在せず、教育にあたって各部局や各教員の裁量が大きい。そのためそれぞれがそれぞれの目標のもとで教育活動を行いがちである。教育学におけるパラダイムシフト後は、明確なDPのもとで、教員は授業や学生指導にあたり、職員は窓口対応や学生支援にあたる。管理職は学生のDP達成のために、組織をマネジメントする。このようにして全教職員が日々の業務遂行時のベクトルを一致させることによって、学生はDPで掲げられた能力の達成が可能となる。3つのポリシー策定の推進責任者として想定されるのは、学長、教育担当副学長・理事、各研究科・学部長、総務担当部署、教務担当部署、FD委員会、自己点検委員会、大学教育センターに所属する教職員である。彼ら・彼女らが、こうした3つのポリシー策定の意義を適切に理解し、連携して作業を進めることができるかが問われている。それが可能となれば、この機会を全学的な組織開発(Organizational Development)に発展させることができるだろう。

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