カレッジマネジメント205号
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34京都橘大学と併設校の京都橘中学校・高等学校は、京都女子手芸学校にルーツを持つ。京都西陣の東端に1902年、創設者の中森孟夫が私財を投じて開設した学校だ。本格的な校舎を構えたのは現・京都ブライトンホテルの辺りで、敷地内に学園発祥の地の記念碑もある。女性の経済的自立(自営独立)を目指して刺繍や裁縫が教えられていた。戦後、山科盆地の南東部にあるキャンパスに橘女子大学を設置したのは1967年のことである。学生数113人の文学部単科でスタートした。開学50周年を迎えた今や6学部11学科と大学院を擁し、通信教育課程を除く学部学生だけでも4263人(2017年5月1日現在)を数えるまでに成長を遂げている。その現状と今後の展望について、細川涼一学長にお話をうかがった。男女共学化から大学開学50周年へ1989年に専任講師として着任後、四半世紀以上にわたり大学の変化を見つめてきた細川学長の実感では、2005年に看護学部を設置するとともに、男女共学化へと踏み切ったことが、大学の最も大きな転機だったという。従来の教学理念は「自立した女性の育成」としていたが、共学化後は「自立」・「共生」・「臨床の知」を掲げた。文学部・文化政策学部(現代ビジネス学部の前身)・看護学部の3学部体制とした狙いは、2005年当時として社会的に需要の大きい分野の新学部を設置するとともに、既存の学部の魅力も高めることだった。看護分野は、特に女性にとって、他者のためになる形で生きがいを感じつつ、職業を通しての活躍がしやすい。自立にもつながる。共学化はしても、大学のイメージカラーが急速に変わることは避けられる。以上の判断があった。2007年に設置した児童教育学科では、小学校と幼稚園の教員免許、保育士資格の取得を可能にした。幼稚園教諭と保育士は、女性の割合が高いため、徐々にだが確実に大学改革を進める試みは、この点でも順調に進んだと考えている。医療や教育・保育といった資格系以外にも、当たり前に企業等への就職を目指す学部も必要ではないか。2008年に文化政策学部を、より社会科学系と分かりやすくなるよう現代ビジネス学部に名称変更したのは、こうした考えからであった。文学部についても、企業等への就職に強い方向を目指した改革努力が重ねられた。こうして「人文・社会系」「教育・保育系」「医療系」の3本柱が揃った。その後、2010年に文学部の児童教育学科と英語コミュニケーション学科の2学科が人間発達学部となり、2012年には健康科学部が設置された。もともと戦前の京都女子手芸学校では、創立後早い時期から小学校教員を養成していたが、くしくも学園創立115周年にあたる2017年、人間発達学部児童教育学科は、発達教育学部として独立を果たす。英語コミュニケーション学科も国際英語学部国際英語学科へと発展した。総合大学化で志願者も増加2005年の看護学部設置は、当時の京都の私学には見られない試みであり、「先行者利益を考えたうえでの『戦略』」(梅本裕理事長)だったことは、4年前の本誌で紹介している通りである※1。マーケティングに基づき、この地域に足リクルート カレッジマネジメント205 / Jul. - Aug. 2017「存在感のある総合大学」を目指して細川涼一 学長京都橘大学C A S E2

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