カレッジマネジメント206号
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56リクルート カレッジマネジメント206 / Sep. - Oct. 2017杏林大学の第3次中期5カ年計画(2013-2017年度)には、第1次中期計画(2005年度)、第2次中期計画(2010-2012年度)と比較して、重要な決断を下した事業計画が盛り込まれた。それは、八王子にある3学部を医学部を中心とする三鷹に移転し、統合キャンパスとするものであった。この経緯を理解するために、少しばかり杏林大学の沿革をたどってみよう。同大学は、1966年に三鷹に開設された杏林学園短期大学を嚆矢とし、1970年には医学部、1979年には保健学部、1984年には社会科学部(現、総合政策学部)、1988年には外国語学部を設置して規模を拡大し、医学・保健医療系学部と人文・社会科学系学部をもつ総合大学として発展してきた。ただ、総合大学となったとはいえ、医学部と保健学部看護学科看護学専攻以外は、八王子キャンパスに設置されたため、医学・保健医療系学部と人文・社会科学系学部を統合することは容易ではなかった。加えて、八王子という地の通学の利便性は学生募集に不利に働き、さらには、総合政策学部と外国語学部は、競合する学部が他大学にもあり、少子化のなかで志願者の減少を余儀なくされた。また、入学したものの、中途退学者が一定割合を占めることが大きな課題とされていた。これらの問題に対して2010年頃までの中期計画では、八王子キャンパスの魅力を高めるとともに、三鷹と八王子の物理的距離をICTによって短縮することが方針として策定されていた。ところが、三鷹キャンパスの近隣に1万坪の用地が確保できたことで、その方針は大きく転換された。八王子の学部を都心寄りに移転させることで、活性化を図ることにしたのである。2012年には八王子キャンパス移転検討委員会が設置されて、創立50周年を迎える2016年に八王子の3学部が三鷹へ移転することが決定したのであった。この新キャンパスは、『井の頭キャンパス』と命名された。「眞善美の探究」を軸にした全学的教育連携大学名称の「杏林」は、中国の故事に由来する。治療代を受け取らずに、病気から回復した人に杏の苗を植えてもらった医師がおり、いつしか10万余株の杏の林ができたという故事から、良医を意味するようになった「杏林」を大学名とすることで、知識技術に長けているだけではなく、他者に尽くす人格者を養成することを大学のミッションとしてきた。それを象徴するのが、「眞善美の探究」という建学の理念である。これは、学問に対して謙虚であるとともに、他者に対しても謙虚であることを意味している。「『眞善美の探究』を通じて、優れた人格を持ち、人のために尽くすことのできる国際的な人材を育成すること」、これが杏林大学の教育理念である。ところで、ここでなぜ、「国際的な人材育成」が課題になるのだろうか。「眞善美の探究」と「国際的な人材育成」とはどのように結びつくのだろうか。それに対して、跡見 裕学長は次のように語る。「『眞善美の探究』とは人類にとって普遍的なもの。人のために尽くすということも、同じく普遍的なものです。従って、人類にとって普遍的なミッションを体現した者は、特定の何かにとらわれることなく国際的通用性の高い人材となるのです」。国際化、グローバルという言葉を用いて大学改革が進められている昨今であ三鷹へのキャンパス集約で、全学的な教育連携を加速跡見 裕 学長杏林大学C A S E3八王子から三鷹へ

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