カレッジマネジメント210号
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58ミャンマーはASEANに属する発展途上国であるが、最近は、東南アジア最後のフロンティアと呼ばれるほど、今後の発展が期待されている。同国は日本の2倍近くの国土に約5,500万人(2016年国連推計)の人口を持ち、平均年齢(中央値)が29歳(日本は49歳)と若い国である。また、135の民族を数える多民族国家でもあり、ビルマ族が約7割、シャン族やカレン族等の少数民族が約3割を占める。人口の約9割は仏教徒であり、少数民族にはキリスト教徒やイスラム教徒が多い。 ミャンマーは、1948年に宗主国イギリスからビルマとして独立を果たし、1962年の軍によるクーデター後のビルマ式社会主義政権、1988年以降の軍事政権を経て、1989年にミャンマーに国名が変更された。1988年に起きた民主化運動の軍による弾圧に対しアメリカ主導の経済制裁を受けたため、1962年以来半鎖国状態であった。しかし、アウンサンスーチー氏主導の民主化運動の高まりを受けた国際社会からの圧力や中国の影響力拡大への軍政の懸念等を背景に、2010年総選挙が行われた。しかし、当時の最大野党国民民主連盟(National League for Democracy: NLD)がボイコットしたため、旧軍政系の連邦団結発展党(USDP)が一方的に勝利することとなった。2011年3月には23年ぶりに不完全ながらも「民政」に移行し、元陸軍大将のテインセイン氏が大統領となり、開放政策を強く打ち出すとともに諸改革を本格的に開始し、それに伴い、欧米の投資も急増した。2016年4月には、前年の総選挙での勝利を経て、NLDが政権を取り、国家顧問(兼外務大臣)に就いたスーチー氏が事実上の国家元首として政府運営を行ってきている。しかしながら、治安と国防を担う国軍が強い影響力を保っているため、スーチー氏が最優先事項とする少数民族との和平合意交渉は一進一退であり、またNLDの行政経験不足や人材不足に加え、スーチー氏への過度の権力集中等により、行政も停滞しがちである。政権発足当時の熱狂と大きな期待に応えているとは必ずしも言えず、今はそれが幻滅に変わろうとしており、NLDに満足しないグループは新党結成に動く等政局は流動化しつつある。この手詰まり感から、同氏は、前政権時代から距離を置いてきて来た中国に対し、経済支援や少数民族への影響力を期待し、再接近を図っている。2017年に入り大きな国際問題となったイスラム教徒の少数民族ロヒンギャの扱いを巡っては、国際社会の懸念や圧力の高まりを受け、難民の帰国に向け、避難先のバングラデシュと協議を進めている。「開国」に伴う諸改革がほぼ全ての分野で進むなか、高等教育を含む教育部門の改革は、前政権が発足した2011年から進められている。改革のステークホルダーとしての連邦議会、大統領府、教育管轄省(教育省・科学技術省など)、国際ドナー、市民社会団体等が協議を重ねながら、全国教育法(National Education Law)、その下位法である基礎教育法、高等教育法、技術教育・職業訓練法、私学教育法等の法律制定や教育政策策定を同時並行で進めてきている。高等教育改革に関しては、全体的オーバーホールを一気に進めようとするあまり盛り沢山であり、ガバナンスの大幅な見直し、高等教育機関への自治権付与と権限移譲、高等教育機関運営体制の効率化のための管轄省の統合と高等教育機関の整理統合、授業料増等が挙げられる。高等教育には多くのステークホルダーが関わること、また、過去の経緯から政治性が非常に強いこと等から改革には非常に時間がかかっている。教育改革のプロセスでは、2011年の民政発足後、それまで長らく軍政により政治活動を禁じられてきた大学生が開放・教育改革と高等教育改革リクルート カレッジマネジメント210 / May - Jun. 2018ミャンマーの高等教育改革と今後の方向性上別府 隆男福山市立大学 都市経営学部 都市経営学科 教授ヤンゴン郊外のダゴン大学正門7

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