カレッジマネジメント211号
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著者の小林氏は現在、あるSNSに大学、受験、高校生に関係する新しい資料を次々と紹介している。それは古い受験雑誌のちょっとした記事であったり、ふつうだと見逃しそうなデータだったりする。それを紹介する筆者の筆致は、いかにも珍しい宝石を発見できて、嬉しくて仕方がないという雰囲気を持っている。取材過程で思いがけない資料と遭遇したと時のことを楽しんでいるかのようである。いずれまとめられて出版されることだろう。本書もまたそうした長年にわたる資料探索の成果である。誰しも思い当たる節があることだが、どんな学校へいっても「あいつはできるなあ」と、ため息をつきたくなるような秀才がいるものだ。学校を卒業してからしばらく経つと、あの秀才はいまどうしているか、が話題となる。あるいは同窓会があると、「あいつはどうしているか」といったたぐいの話が持ち上がる。「やっぱり神童は違うな」という話になったり、「なんだ。その程度か」という話になったり、話はさまざま。かつての神童のその後もさまざまだが、それを語る者の心理もさまざま。筆者は丹念にこうした秀才の事例を集めている。例えば日銀総裁黒田東彦ことクロトン。1944年生まれの黒田は、小学校のころから成績が抜群によかった。東京教育大学の付属駒場中学に入学。言うまでもない名門中学である。在学中から成績優秀。本の虫だったという。その証拠に図書館の本をすべて在学中に読みつくしたという話が残っている。同級生だった政治家細田博之の言を借りながらこう語っている。「一種の天才。ガリガリタイプではなく、読解力が極めて高く、一読してすべて理解するタイプ」だったという。さらには予備校では試験をするたびに成績順位が公表される。毎回トップに並ぶ名前は自然と大勢の記憶に残る。「いったいどんな奴だ」と関心が集まる。めでたく大学に合格してから、「なんだ。お前だったのか」といった調子で話が盛り上がる。このようにさまざまな可視的な指標が作りだされる。それが何十年か経ってから貴重になる。古い受験雑誌には模擬試験でトップの名前が公表され、印刷される。印刷されたときはたいした価値はないが、何十年か経った時に価値が出てくる。思いがけない人物がかつては大秀才だったことが古い記録によって証明される。こうした話を丹念に集めると、断片的な事実が面白い話につながってゆく。なかには祖父、父、その子、三代続いて神童と称された家系がある。政治家ばかりでなく、実業界、学界にもある。丹念にこうした話も紹介している。あまり神童ばかり並べられると反感を誘いがちだが、筆者は巧みにバランスをとっている。神童として名前が高かった政治家K女史が、同じく神童として名の高かった政治家H氏に出会った時、K女史はH 氏に向かってこう言ったという。「Hさん。あなたは全国模試で1位、1位、3位、1位だったそうですね。私は1位、1位、1位、1位でしたよ」。H氏は怒り、「あの女はなんだ」といってカンカンだったという。こういう話を書き込んだ後に、筆者はこう書いている。「子どものころ、頭がよかった人は、大人になってからも自慢したがるものだ」。こういう挿話を書き込めるのは、長年ジャーナリストとしていろいろな人を取材してきた経験があるからであろう。小林哲夫 著『神童は大人になってどうなったのか』(2017年 太田出版)長年探索したさまざまな事例を集約記録で証明される「神童」(C)小林哲夫 /太田出版

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