カレッジマネジメント213号
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29リクルート カレッジマネジメント213 / Nov. - Dec. 2018続していることであり、教育内容上、中学と高校という区別はあまりない。そして、後期に当たる高校2年から文系と理系とに分かれ教科の授業時間や教育内容に差異が設けられ、大学受験をターゲットに置いた教育課程が編成されている。この2年を3期に区切るのは、6年一貫の私学だからこそできることだと校長は言われる。「中学から高校へ自動的に進学できることが緊張感を削ぐことになりかねません。この2年間を中期として各種の学校外の活動へ参加させる行事を組み入れることで、視野の拡大を図りたいのです。そのうえで自分の適性を見極めて、後期には希望する進路の実現に励むのです」。当然のことながら、どの教科も公立と比較したら学習進度は早い。中学受験を経ている生徒は一定の高学力の範囲に収まっているとはいえ、それでも授業についてくることが難しい者と、それを楽々クリアする生徒とに分化する。そうした学力の分散へのきめ細かい対応を、中学1年から行っている。できるだけ早いうちにと、成績不振者は少人数での補習や個別添削等によって挽回のチャンスを作る。得意な者にはさらに伸ばすための仕組み、またさほど得意でなくとも、チャレンジの機会を与え得意な部類に伸長させる機会を設けている。英語の「帰国生取り出し授業」もそうだが、数学では前期でのジュニア数学オリンピック、中期での数学オリンピックへの挑戦を勧めたり等がそれである。理科の授業はSSHに直結している。国語の「群読」というグループによる朗読も、30年にわたる活動経歴を持ち、黙読ではなく音読による教育効果が確証されている。生徒一人ひとりの個性を把握したうえで、進度の早い通常の授業に落ちこぼれる者を極力少なくし、他方でできる者はさらに伸ばそうという、きめ細かい仕組みが構築されているのである。中等教育の成果を大学受験の結果のみとするのであれば、聖光学院のような各種の授業外の教育プロジェクトを設置せずとも、もっと効率的なやり方で成果を出すことは可能だろう。しかし、聖光学院の場合、大学への進学実績は通過過程に過ぎないと考えている。目指すところは、大学を卒業した卒業生が、その後に、何をするか・できるかである。Gentlemenの育成と教員卒業生が将来Gentlemenとして本分を果たしてくれるか、聖光学院の教育理念を体現した人物として社会に貢献してくれるかが、6年間の教育成果だという。校長は言われる。「いわば、われわれの教育は、幅広く学び、それを体験するリベラル・アーツなのです。リベラル・アーツは古来よりGentlemenを育成するための教育とされてきました。Gentlemenは、幅広く偏りなく学び、それでもって人格を形成し、社会の奉仕者=治者となる者なのです。近年の日本の大学は教養教育を軽視しています。だからこそ、われわれがそれをやる必要があるのです」とリベラル・アーツの本質を理解されたうえでの発言である。そこに筆者は敢えて質問をぶつけた。「理念としてのリベラル・アーツ教育と、現実の大学入試問題への正解の道筋とバッティングすることはないのでしょうか。どのように両者は共存可能なのでしょうか」。校長は笑いながら答えて下さった。「いやいや、そんなこと問題になりません。さすがにトップの大学の試験問題はよくできていて、考えさせる問題であって暗記だけでは通用しません。われわれの教育による幅広い内容を自ら考える習慣を身につけている学生にとっては、何らネックにはなりません」。さもありなん。とはいえ、校長のこうした方針を実現するためには、優秀な教員の存在が不可欠である。校長は「わが校では、研究とは何かを知っている博士課程を修了した人に教員として来てほしいと願っています。ネイティブの教員も必要です。長く社会人をしてきた人の経験も重要です。しかし、彼/彼女は教員免許を持っていない場合が多い。現行制度では、教員免許を持っていない方々を、正規の教員として雇用することはできません。少なくとも、私学に対しては、従来の教員養成課程における免許状制度を一律に適用せず、もっと弾力化した運用が求められます」と力説される。学習指導要領に縛られない私学のメリットを最大限に活かしつつ教育課程の工夫をされてきたが、これを実現するためには力量のある教員が重要である。教員の待遇改善、教員コミュニティーの形成には尽力されてきたという。強固な理念=目的と、細かな縛りの中での最大限の融通=手段。これを縦横に組み合わせての聖光学院の教育がある。(吉田 文 早稲田大学教授)特集未来の学生を育む高校の改革
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