カレッジマネジメント214号
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職業的に「役に立つ」大学を優遇する国の政策が実行に移されつつある。乱暴にすぎる政策だと大学人が吠え立ててみたところで、無力であろう。政策に抗していくためには、実際にどう「役に立って」いるのか、よりいっそう「役に立つ」にはどうすればよいのかについて、自己正当化の強弁ではなく実証的に、人文社会系の大学側が自ら社会に示してゆく必要があると編者本田は言う。その通りだと思う。『文系大学教育は仕事の役に立つのか』と題されたこの本は、そういう率直な思いに貫かれて書かれている。依拠しているデータは主に2つ。第1に、人文社会科学系の10の学問分野を学んだ25〜34歳の社会人約2000人を対象とした社会人調査。無作為抽出ではないものの特定大学の卒業生に偏ることの多かった先行研究の欠点を免れている。第2に、大学3年から卒業後2年目時点まで同一の対象を毎年1回ずつ追跡した大学生パネル調査。専門分野や標本数は限られているが、リアルタイムで観察できる点で回顧的調査に優る。このほかインタビュー調査も行っているので、惜しみなく手間暇かけた調査である。本書のタイトルを見た瞬間から読後まで、ずっと「役に立つ・立たない」とはどういうことかを考えさせられた。ある章は知識・スキルの有用性を問題にする。知識・スキルといっても、一般性・汎用性の高いスキルと職務に直接関係する内容的レリバンスの双方を含んでいる。何に対して役に立つのかという点でも、収入や仕事満足度、あるいは地域移動など種々の観点が設定されている。役に立つかを客観的に検討した章もあれば、主観的な役立ち観に焦点を合わせた分析もある。多様な問題設定が可能かつ必要だという事実は、文系大学教育は役に立たないという単純な“命題”が不毛であることの証左にほかならないが、他方で本田の言う通り「多様な形で検証しつくさなければ」、“役立たない命題”に勝つことはできない。多様な問題設定が可能なだけではない。文系といっても、その内部の専門分野間で教育内容と方法に非常に大きな違いがある。その違いをエビデンスを基に描き出している点に本書の最も大きな示唆を読み取ることができる。具体的には、相対的に教員=学生間の双方向性が低い社会科学系、内容的レリバンスの低い人文科学系、特に内容的レリバンスの高い教育学、中間的でバランスのとれた社会学及び心理学、理論重視の法律学、相対的に教育の密度が低い経済学等の特徴である。そして教育の内容と方法は、その後のスキル形成に一定の影響を及ぼしている。内容的レリバンスの高い授業や教員=学生間の双方向性が高い授業やゼミの密度の高さが、卒業後の判断スキルや交渉スキルを高めていたという。これらは、教育内容・方法の偏りや不足を専門分野ごとに自覚することの必要性と、内容的レリバンスと双方向性を高めることによって、卒業生のスキルを高めることに貢献する可能性を示唆する。至極穏当で違和感のない知見だと納得した。教育が役に立つか立たないのかは教育組織だけの問題ではなく、産官の職業組織との相互作用の産物だ。だとすれば、職業組織は文系人材に何をさせているのか、その知識とスキルを活用できているのかという、もう一つの問題設定が可能である。本書では希薄なこの視角を含めて、大学自身が大学教育の有用性と改善状況に関する研究成果を発信していくことが求められている。この意味で、本書は高等教育を守る砦の、芽である。本田由紀 編『文系大学教育は仕事の役に立つのか──職業的レリバンスの検討』(2018年 ナカニシヤ出版)データが示す“命題”の不毛さ研究成果発信で社会に示すことが重要

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