カレッジマネジメント214号
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53リクルート カレッジマネジメント214 / Jan. - Feb. 2019同時に、研究にはもう一つのより根源的・本質的とも言える役割がある。研究に不可欠な好奇心や探究心、真理探究の過程で培った思考や技法は、精神の豊かさを育み、より良く生きる力となる。研究によって生み出された知識は、知の地平を広げ、文化の豊かさを育む。例えば、研究と実務の間では、その違いばかりが強調されがちだが、好奇心・探究心は研究のみならずあらゆる知的活動の起点となる。また、問題設定から調査・情報収集、考察を経て結論を導き出す思考過程は、研究のみならず様々な場面において有用かつ不可欠な要素である。その意味からも、1810年創設のベルリン大学を特徴づける「研究を通じての教育」というフンボルト理念に立ち返り、その意義を確認しておく必要がある。そもそも中世大学は教育を使命とし、教育と研究を使命とする大学が本格的に登場するのはベルリン大学からとされている。潮木(2008)は、研究中心主義のベルリン大学が相手としたのは少数の選ばれた学生だったことを紹介しつつ、「研究を通じての教育」という構想は有効性を失ったのだろうかと問いかける。そのうえで、21世紀社会を「次々とおこるさまざまな問題をいかに解決するか、幅広い人々の知的な活動に依存する度合いがますます高まる時代」、「研究活動が大学の内部だけに限られるのではなく、行政、企業、市民活動さまざまな分野にますます拡大していく時代」とし、「時代はこうした知的な活動の担い手が多数育つことを求めている」と述べている。大学ごとに教育・研究間の重点の置き方は異なるだろうが、研究は、いわゆる研究大学や選抜性の高い大学だけに課せられた役割ではない。専門とする学問領域を広く俯瞰しつつ、探求すべき問いを立て、情熱と誠実さを持って研究を遂行する姿勢と能力がなければ、主体的に学び続ける力を学生に身につけさせることなどできない。「研究を通じての教育」の意味を再確認する最後に、研究に関して特に重要と考えられる課題を3点だけ挙げて本稿を括りたい。1つは大学院に関する問題である。優れた研究者や大学教員を養成するためには、大学院を質と量の両面で充実させていく必要がある。量的側面だけを見ても、博士課程入学者は過去最多となる2003年度1万8232人に対して2018年度は1万4904人と2割近く減少、そのうち人文・社会科学は約4割、理学・工学は合計で約3割減少している。実効ある大学院改革が急務である。2つ目は研究倫理である。黒木(2016)は「研究者の心に内在している競争心、自らのストーリー通りに自然を解き明かせるという思い上がり、科学コミュニティーの主導権を握ろうという野心、若い研究者を思うがままに使おうとするトップダウン運営等々、諸々の要因が複雑に絡み合い、不正にいたる。その意味で、研究不正は、研究と研究者に潜在する内面の問題に起因する」と指摘する。研究への信頼失墜は、研究を支える社会的・経済的基盤を失うことにつながりかねない。3つ目は研究に対する組織的な支援である。NISTEP定点調査2017でも、基盤的経費の問題と並び、研究者の研究時間を確保するための取り組みと研究活動を円滑に実施するための業務に従事する専門人材(リサーチ・アドミニストレーター等)の育成・確保に対して、著しく不十分との認識が示されている。教員と職員の機能分担や協働の在り方、大学機能の高度化を支える専門職人材の配置・育成等、大学運営の構造に関わる根本問題でもある。研究は対象やアプローチ等あらゆる面で多様であり、その多様性は増大する一方である。大学を運営する立場からは掴み所がないというのが率直な実感かもしれないが、研究への関心なしに教員と真の対話を行うことも、教育の在り方を深く考えることもできない。本稿が大学の研究を見つめ直す契機となればと願う。大学院改革、研究倫理、研究に対する組織的支援【参考文献】潮木守一(2008)『フンボルト理念の終焉?─現代大学の新次元』東信堂黒木登志夫(2016)『研究不正』中央公論新社
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