カレッジマネジメント215号
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「大学解体」をスローガンに繰り広げられた大学紛争から半世紀が経つ。この間の「解体」は学生活動家たちが唱えてきたものとは全く異なるけれども、いま確実に大学は解体されつつある。それも大学が重篤な病を抱えているようにしか見えないらしい、政府や文部科学省の手によって。この本は、大学改革政策にとって自明の前提とされてきた大学の病状の診断が「誤診」であり、誤診に基づく改革政策が「死に至る治療(fatal remedies)」になりかねないことに警鐘を乱打している。著者は、佐藤郁哉(同志社大学、編者)、苅谷剛彦(オックスフォード大学)、川嶋太津夫(大阪大学)、遠藤貴宏(一橋大学)、Robin Klimecki(ブリストル大学)の5氏。日英の大学人による400ページを超える大著だが、中身は明快でとても読みやすい。大学設置基準の大綱化以来、過去30年の間に矢継ぎ早に繰り出されてきた各種補助金事業に特徴的な問題は、例えばスーパーグローバル大学創成支援事業に典型的に現れている。編者が指摘する3つの問題は、①過剰期待と過小支援の矛盾、②混迷を極める「選択と集中」、③ゲーム化する大学改革である。内閣府や文科省の資料を見ると、大学は社会変革のエンジンたれとかグローバル化を牽引せよ等、過剰な期待が踊る。しかるに「極めて僅少な額の支援」しか提供されては来なかった(①)。「選択と集中」はメリハリをつけた資源の傾斜配分を象徴する言葉だが、元来、個々の企業内で、その強みを明確にしたうえで経営資源を集中的に投入することを意図した言葉だった。それが日本の大学改革の場合には大学セクター全体について適用され、特定の大学群への重点的資源配分を正当化するために使われた。「選択と集中」政策がもたらしかねない、大学セクター全体の地盤低下等の副作用に関して、慎重な検討が重ねられた形跡は乏しい(②)。しかも選択と集中を掲げた改革政策を実行しようとしても、政策側に華々しい目標に見合った予算を確保する余裕はなく、大学が手にする補助金はあまりにも乏しく、政策側から示唆された目標に対して「形の上」だけ応じるふりをするくらいしかできない。政策側と大学側が互いに真意を読みあいながら「落としどころ」を探る「相互忖度ゲーム」が始まるのである(③)。かくして、大学改革政策が次々と立ち上げられながらも、結実を見ない事態が続いていく。補助金獲得競争に奔走と迷走を余儀なくされた大学人の1人として、常に感じていた虚しさ(採択されてもされなくても)が思い出された。だがその憂さは本書を読んでもまだ晴れない。どんな処方箋があるのか。苅谷氏は「徹底した帰納的思考」による大学教育の見直しを提唱し、川嶋氏は「下からの改革」を訴える。佐藤氏は、確実な理論とたしかな実証的根拠に基づいて身の丈に合った明確な目標を定め(Evidence-Based Policy Making)、またその目標の具体的な実現方策について論理的かつ明晰な文章で説明すること(「霞ヶ関文学」からの訣別)を提言している。正しい。本書だけにこれ以上の貢献を求めることは過剰な要求にほかならないが、同時にまだ大学改革の処方箋には到達していないことも否めない。基本的な医療の知識や技能を持ちあわせていない人々が書いた処方箋が実行に移されてしまうという、高等教育行政における意思決定の仕組みにもメスが入れられる必要がある。そうでなければ「20年後の大学再生」は望むべくもない。佐藤郁哉 編著『50年目の「大学解体」 20年後の大学再生』(2018年 京都大学学術出版会)現状誤認による改革政策が大学解体を招く再生のカギは現手法脱却と専門家の処方箋【最終回】

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