カレッジマネジメント215号
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27リクルート カレッジマネジメント215 / Mar. - Apr. 2019特集 高等教育の国際展開の不安や恐れも少なくない。例えば、学生が海外に行きやすくするためには、海外の大学との学期のズレを克服する必要がある。学生のニーズに対応しようとすると、教員の在り方、教授法の在り方、様々な慣行等を考え直さないといけない。教育の質保証を考えると、1学期に10科目以上もの科目を履修させること自体が問題かもしれない。アメリカの大学では1セメスターに16単位(4〜5科目)以上は取れない。教員が十分な準備をし責任を持って教えられるのは3〜4コマまでだが、実際はかなり多くのコマ数を担当している。明治大学では、授業時間を50分1モジュールとする柔軟な授業時間を導入し、これまでの授業期間を短縮できる制度も整えた(150分の授業8回で2単位が修了する)。責任コマ数を5コマから4コマに減らすと同時に、各学期の設置コマ数を当面10%削減(最終的には20%削減)する努力を始めた。しかし、これを実現するためには、教職員がこれまでの意識を変える必要がある。教員のマインドセットをどう変えるか。文科省が形式的なところを強要しても変わらない。教員自らが、学生に質の高い教育を提供できているのか、授業の準備は十分できているのか、必要なスキルや知識を世界レベルで提供できているか、といった基本的な問いに立ち戻ることが重要だという。国際的な視点から日本の大学の相対的な位置を確認し、国際的に通用する教育を提供しようと思う教員が増えないと、少子化が急速に進行する中では日本の大学は生き残れないのではないかという危機感がある。今であれば、東南アジアの学生を中心に日本の大学への留学ニーズは高い。しかし、日本の大学教育への信頼も次第に低下しており、留学先もイギリス、オーストラリア、アメリカにシフトし始めている。タイのタマサート大学、チュラロンコン大学等では、タイ語のプログラムのほかに英語のプログラムを用意し、海外からの学生の取り込みも始めている。日本語要件を緩和し、入学後に日本語を集中的に勉強し、一定のレベルを超えた時点で通常のコースに編入する、その間は英語の講義を履修するといった混合方式などを導入しないと、日本の大国内外の大学との協力から融合へ学への興味は失われるかもしれないという。明治大学の志願者が伸び続けていることが、こうした危機感を持ちにくい状況を生み出しているかもしれない。海外のサマーセッションに参加した学生がどこに就職しているかを尋ねると、四大会計事務所のコンサルティング会社等、海外に勤務する人が増えてきているという。これまでの明治とは異なるキャリアパスが生まれている。プログラムで、トップスクールの学生と友達になり、その後もずっと交友関係が続く。海外の博士課程や修士課程に進む学生も増えている。昨年は、副学長が個人的に把握しているだけでも、20名以上が大学院留学を果たした。米国のウィスコンシン大学、英国のキングスカレッジ、サセックス大学等の一流大学だ。10年前の短期留学から始まり、ようやく花が咲いてきたと成果を嬉しく感じる一方で、こうした学生が明治の大学院に来てくれないことに危機感を抱いているという。「明治の大学院か、イギリスやアメリカの大学院か」と学生から相談されると、多くの教員が海外の大学院を勧めている。次の問題はそこにある。しかし、教員がこの問題に立ち向かうためには、やれば報われる条件を作ることが大切で、それが学長や理事会等の執行部の役割だという。例えば、プログラムの運営に関わった人には、サバティカルリーブを与える。英語で授業を担当する教員へは金銭的なインセンティブを与え、担当科目数を減らす等があろう。また、責任のとれるコマ数負担を実現するためには、学内・学外・国際的なカリキュラムの融合も考えられる。無理に英語で授業をしてもらうのではなく、例えば、カリフォルニア大学バークレー校のサマーセッションを各学部のカリキュラムに取り込むことも可能だ。東南アジアのトップスクールの優秀な教員をクロスアポイントメントし、明治大学の教員として一部の授業を担当(招聘、もしくはオンラインで)してもらえばよい。そうした知恵を使わないと、現代に求められる教育努力が学生の授業料に跳ね返ってしまうという。世界の大学と触れることを契機に、日本の大学をいかに改善できるか。明治大学の取り組みをうかがうことで、一方では構造的な課題の深刻さを、他方では大いなる可能性を強く感じた。(両角亜希子 東京大学大学院 教育学研究科 大学経営・政策コース)

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