カレッジマネジメント215号
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40リクルート カレッジマネジメント215 / Mar. - Apr. 2019歯科大学をルーツに実学系の大学へ本学の成り立ちは、創立者の宮田慶三郎が別法人で二つの歯科大学を設置したことに始まります。宮田は大阪歯科医学専門学校(現大阪歯科大学)を卒業。都内に歯科医院を開業した後に、非鉄金属材料の技術者としても手腕を発揮しました。戦後、米国で見た立派な建物に瞠目し、帰国するや直ちに中高層住宅の研究を開始。わが国におけるマンション開発の先駆者となりました。60歳を過ぎてから、「歯科医師の養成」という夢の具現化のため、事業で蓄えた資力を投入し、1970年に城西歯科大学(のちの明海大学)を、翌年、本学の前身である岐阜歯科大学を設立しました。岐阜県は歴史的にも商業高校を中心とした実学中心の高校が多く、1985年に経営学部経営学科を設置したのをきっかけに、朝日大学へ校名変更しました。続き、県内に法学部がなかったことから、1987年に法学部法学科を設置しました。しかし、第二次ベビーブームに乗って活況だった人文社会学系の志願者が、2000年ごろから減ってきて、現状を分析しきれずに苦労した時期が2010年ごろまで続きました。私が学長に就任したのは2008年、42歳でした。就任時の喫緊の課題は、法学部、経営学部の定員割れをどう分析して、改善の方向に持っていくかでした。そこで、これまで学生部長、副学長を務める中で一緒に学生募集を行ってきた職員が、この10年間をどんな思いで見てきたのか聞きました。岐阜県出身者で本学に永久就職してくれている職員は強い思いを持っています。いくつかの問題点が明らかになりましたが、大きかったのは、学びの領域が古ぼけて、魅力のないものになっているということでした。全国的に法学・経営学それ自体に魅力がない状況ではなかったので、朝日大学が周囲と比較して競争力を失っているのだと思いました。本学が旧態依然とした教育を続けたことが高校生のニーズに合わなかったのかもしれないし、また地域のニーズともかけ離れてしまったのかと反省する部分がありました。強みを再認識し、地域に合った改革を推進2014年に保健医療学部看護学科を作ったときには、おおとも・かつゆき氏1966年生まれ1991年昭和大学医学部卒業1997年順天堂大学大学院医学研究科修了、朝日大学赴任2004年朝日大学歯学部教授附属村上記念病院副病院長、学生部長、副学長、学長事務代理等を歴任2008年朝日大学学長強みを生かした改革で、地域人財のダム機能を目指す朝日大学 学長大友 克之
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