カレッジマネジメント220号
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30国立大学が法人化されたのが2004年。それ以来、各国立大は6年ごとに中期目標・中期計画を策定し、それに基づく諸活動と評価のサイクルを廻してきた。法人化が国立大学の自律的なガバナンスを促し得たのかについては、マイクロマネジメントに傾きがちな高等教育政策を前提に懐疑的な声も聞かれる。片や、私立大学においても中期計画の義務化を前にして各大学で対応が進む。中期計画のデフォルト化といった様相を呈するが、「やらされ感」から形ばかりの整備を進めることはあまりに無意味だ。中期計画は、うまく運用すれば、数値目標があることで計画が学内に浸透しやすい、進捗管理がしやすい、各部署の責任が明確になると評価する向きもある。ここは腰を落ち着けて先行事例に学び、中期計画の実質化を図りたい。そこで本稿では、福井工業大学(以下、福井工大)を取り上げる。後述する通り、福井工大はかつて志願者数の減少に苦渋を味わった経験を経て、今や安定的な学生確保を維持できるまでになっている。その裏には既に第3次に入った「中期計画」の策定・運用がどう影響しているのか。福井キャンパスに掛下知行学長を訪ねた。福井工大の来し方をたどると、その沿革が戦後日本の発展と軌を一にしていることが知れる。教育機関としての淵源は1949年の夜間電気学校の創設に始まるが、電気はまさに終戦後の日本社会の復興・発展を象徴する「三種の神器」や「モータリゼーション」に欠かすことのできないインフラだった。福井工大は、その基本理念「健全な人格を身に付けた実践的な技術者を育成し社会に送り出すことを通して社会の発展と繁栄に寄与する」が示唆するように、創立当初から、折々の社会的ニーズに即応した人材育成を旨としてきた大学だ。大学開学は、ちょうど高度経済成長期も半ばに差しかかった1965年のこと。1学部2学科からのスタートだった。電気工学科と機械工学科という、高度経済成長を支える「工業大学」らしい学部学科構成だった。さらに翌1966年には建設工学科、1973年には応用物理学科が設置されるなど、工業大学としての教育インフラ充実が図られている。しかし、福井工大がこうして長く掲げてきた「工業大学」という像は近年確実に変化しつつある。その契機となったのは創立50周年(2015年)を目途に実施された学部学科改組だ。図1が示す通り、新たに「環境情報学部」と「スポーツ健康科学部」が設置され、3学部8学科体制へと組織構成が拡大・多様化した。機械、電気、建築、土木、原子力技術といった工学の基盤及び先端領域からなる「工学部」に加え、情報、経営、デザインといった文理融合領域を包摂した環境情報学部が設置されたことの意味は大きい。かかる組織改組が福井工大にとって開学以来の画期をなすターニングポイントになったことは間違いない。そのことは、2015年度入試で使用された志願者向けキャッチコピー、「工業大学、だけど、総合大学」にいみじくも表現されている。福井工大は、3学部8リクルート カレッジマネジメント220 / Jan. - Feb. 2020掛下知行 学長福井工業大学〈中期計画〉CASE3ボトムアップ方式に基づく中期計画が切り拓く大学の新たな将来像工業大学から「総合大学」へ

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