カレッジマネジメント220号
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61リクルート カレッジマネジメント220 / Jan. - Feb. 2020が高い専門性を持ったプロフェッショナルとして活躍していることが、教育研究や学生サービスの質に大きく寄与していることを強調したいと思います。アカデミックアドバイジングも、学部生担当からスタートし、次に院生を担当し、チーフマネジャーになるといったようにそれぞれの専門領域でキャリアアップし、役割にふさわしい報酬も得ているので、誇りを持って自分の仕事をやっていけます。日本の場合、特に国立大学では、事務職員の専門性がどのように育まれているのか分かりません。この点は大きな課題だと思います。日本では、事務職員が教員を「先生」と呼びますが、私は学生にとっての教師であり、職員の先生ではありません。米国の場合、地域による違いもあるかもしれませんが、UCRでは、ファーストネームで呼び合い、互いにリスペクトし、感謝し合って一緒に仕事をしていました。また、教員間も、仲の良し悪しは当然ありますが、分野に関係なく自宅に集まってパーティーを楽しむなどプライベートの交流は盛んでした。教員人事においても、この候補者はコリギアリティ(collegiality=同僚間の関係)面で問題ないかといった点が議論されます。会議についていえば、私の学部ではほぼ毎週教授会が開かれていましたが、教員だけでなくスタッフも院生も出席し、ヒートアップすることもありました。でも、1時間過ぎるとみな席を立ちます。それまでの間、日本のように居眠りしたり、PCで別の仕事をしたりする人もいませんでした。日本の大学の良さももちろんあります。特にゼミは学部生の時に研究の仕方をきちんと教えられる優れたシステムだと思います。私の学生に対するフィロソフィーは「勉強も遊びも一生懸命」ですが、大学はそれらを通して探究心を育てる場所だと思います。ゼミは学生同士の親睦の場であると同時に、そのフィロソフィーを直接に伝えられる場なのです。日本の入試には批判があり、いまその改革の在り方が大きな議論になっていますが、学力で選抜することで一定の水準の学生が入学し、能力のばらつきは米国より小さいため、学生の学力に合わせて教員として様々な試みができます。少人数教育が可能な国立の女子大学という恵まれた面は確かにありますが、日本の大学の良さを見つめ直し、それを活かしていくという発想も必要です。(以上が石井教授のインタビュー要約)ハーバード大学で20年にわたり学長を務めたデレック・ボック博士は、その著書Higher Education in America(2013[宮田由紀夫訳『アメリカの高等教育』玉川大学出版部、2015年])において、米国の高等教育システムの特質として、他の国々と比べて、大学の数が極めて多くかつ多様であること、政府からの監督が緩いこと、州立でも私立でも伝統的にどこからでも自由に資金を求めることができたこと、大学の活動のほぼ全ての分野で競争が激しいこと、の4点を挙げている。石井教授の米国での経験はこのような特質を有するシステム下でのものであり、ボックもそれらの特質が米国の大学の卓越性や優位性に大きく寄与してきたとの認識を示している。同時に、ボックはシステムの脆弱性にも着目し、大学が明確に測れる成果に集中し、目に見えにくい活動を犠牲にすること、激しい競争が学生や多様な利害関係者の要望への過剰な対応につながること等の危険性を指摘している。米国ほどではないが日本の大学も多様である。また、それぞれの大学には資金面でも人的・物的な資源面でも制約がある。このような事実を踏まえることなく、米国をモデルにした改革を一律に推し進めても、大学がより良い方向に向かう保証はない。むしろ、ボックが危惧する問題のほうが大きくなる可能性もある。米国の高等教育システムの何をどう学ぶべきか。石井教授のインタビューを契機に深く問い直してみたい。※アカデミック・インブリーディング。大学人事において自校出身者を優先的に教員として採用する慣行。日本の学部ゼミは優れたシステム米国の高等教育システムの卓越性と脆弱性
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