カレッジマネジメント221号
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50リクルート カレッジマネジメント221 / Mar. - Apr. 2020景にあると考えています。また、少数であるがゆえに見なければいけない教育研究の範囲も広くなります。教授資格を得るためには、博士の学位を得た時の専門だけでなく、周辺に幅を広げた形で研究を行い、教育を担当できる能力を持つことも要件の一つになります。さらに、第三者資金を獲得して講座を運営する能力も求められます。高等教育を考える際に中等教育との関係を避けて通れません。ドイツの場合、総合大学に進むルートと中等教育を終えたら職業訓練を受けて社会に出ていくルートに分かれます。総合大学へはギムナジウムの卒業試験に合格してアビトゥーアという大学入学資格を得て進学しますが、この段階で、一定程度の教養的な事柄、大学での学習に必要な論理的文章の書き方や考え方を学んでいることが当然だとされているので、大学進学後も連続して学習を進めることができます。そして、大学で何を専攻し学んだかを、実力として証明する資格が学位です。大学での専門教育を通じて身につけた実力こそが即戦力の基礎をなすものであり、欧米が資格社会といわれる所以でもあります。日本の場合、設置形態も規模も多様な大学を一つの括りにしていることの難しさが様々な形で現れているように感じています。機能別分化や個性化が求められ続けてきましたが、個々の大学が自らの役割や方向性をより強く打ち出していく必要があるのではないかと考えています。私は、ドイツ史を専門にしていますが、研究を進めるなかで、ドイツにおける日本研究の方が日本におけるドイツ研究よりも国際的なプレゼンスが高いのはなぜなのだろうかと考えるようになりました。そのような問題意識を出発点にして、日独の高等教育システムに関心を持つようになりました。日本のドイツ史研究者のドイツ語能力よりドイツの日本研究者の日本語能力のほうが高いという言語能力も一因ですが、日本の研究者は細部に力を注ぎ、大きな枠組みを論じることが少ないという、日独の研究姿勢の違いも大きいように思います。ドイツ側からかつて、日本から呼んでも面白い話をしてくれる研究者が少ないと耳にしたことがありますが、これなど人文学一般に当てはまるかもしれません。前任校では国際化の仕事に関わりました。海外の相手校との交渉では、しばしば先方の事務系職員が、博士の学位を持ち、大きな権限を有しているのを見ました。大学職員の役割・責任や経験・能力が日本とは大きく異なることを痛感した次第です。現職では評価に関する調査研究に携わっていますが、目下最も気になっているのは、日独ともほぼ同時期に高等教育の規制緩和を実施しながら、日本では、例えば国立大学の法人化について否定的な見方が少なくないのに対し、ドイツの大学関係者は規制緩和に概ね肯定的だという点です。決定的な答はまだ見つかっていませんが、法人化が有するプラスの可能性を、日本は十分に活かしきれなかったのではないかというのが目下考えているところです。例えば、日本では法人化を含む規制緩和が、上からの改革として強制される形で進められたのに対して、ドイツの場合、従来の事前規制行政のままで新たな環境条件と社会的要請に対処できるのかとの問題意識から、大学側が規制緩和に積極的に対応しました。加えて、規制の残存の程度と大学の経営能力上の差が、規制緩和に対して日独間で評価が異なる大きな要因になっているようです。ドイツの大学にも日本の中期目標に似た業績協定があります。中期目標は、国立大学法人の意見を聴いたうえで文部科学大臣が決定するのに対し、ドイツの業績協定は、州政府と各大学が合議のうえで結ぶものです。竹中 亨 大学改革支援・学位授与機構教授京都大学大学院文学研究科前期課程修了、ミュンヘン大学哲学部への留学を経て、東海大学文学部助教授、大阪大学大学院文学研究科教授などを経て現職。博士(文学)。大阪大学名誉教授。専門はドイツ近現代史、日独文化移転史。規制緩和に対する評価が異なる日本とドイツ日本における規制の残存とドイツにおける業績協定

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