57い。質の高い決定には組織的な情報の収集・整理・共有が不可欠である。そのためにも職員が学内外の動向に広く関心を持ち、何が重要な情報かを考え、教員・職員の枠や部署を超えて共有し、組織的に整理・蓄積することが重要である。また、指示を受けるに当たり、その背景や狙いを理解するとともに、問題があれば指摘し、より良い決定となるように話し合うことも大切である。それを促す寛容さが上位者に必要なことは言うまでもない。示された方針に基づき、制度や仕組みを設計し、説明を行いながら、十分に機能できるように学内に定着させていくのも職員の役割である。このプロセスは多大な時間と労力を要するが、ここが不完全であれば、外装を整えただけの改革となり、それが繰り返されることで、組織内に徒労感や疲弊感だけが広がる。このことも我が国の研究力の相対的低下の一因となっていると考えられる。トップの方針を受けて始まるものだけが改革ではない。下からの提案を受けてトップが決定し、動き出す改革もあれば、トヨタ自動車の「日々改善」に象徴される現場レベルでの日常的な改善の取り組みも極めて重要である。その主たる担い手も職員である。学長、副学長、学部長などの役職を経験した教員は、職員が如何に重要な存在かを肌で実感しているはずである。学部・学科の設置申請や新たなプロジェクトの立ち上げなどで職員と苦労を共にした経験を持つ教員も同様である。その一方で、程度の差はあれ、「決定は教員、職員は事務」という意識は依然として多くの大学に残っている。職員を見下すような教員の言動も完全になくなった訳ではない。ただ、このような意識や風土を直接的な方法で変えることは容易ではない。職員の能力が全体として高まり、職員組織がより活性化すれば、教員は職員に一目置かざるを得なくなる。これこそが、意識や風土を変える最良の方法である。職員の能力や職員組織の活性度の現状をどう見るべきであろうか。客観的な検証は今後の研究や調査に委ねるとして、筆者の認識は概ね以下の通りである。国立大学の場合、2004年の法人化とともに大学独自採用を開始、自校卒業生をはじめ学力面でも優秀な人材が集まり、非公務員化と相まって、職員組織の活性化が期待された。法人化後、生え抜き職員の部課長登用なども進んでいるが、3年ごとの異動をはじめ公務員時代の人事慣行や仕事の仕方は根強く残っている。加えて近年は業務量の増加と人員の抑制が続き、法人化後16年を経過して十分な成果が出ているとは言い難い。公立大学の場合、2020年3月時点で全93大学のうち、公立大学法人が設置する大学は82大学となっているが、法人か否かに拘わらず、管理職層を中心に専任職員の多くを設置者である自治体からの派遣者が占めており、また全大学の3分の2は専任職員数が50人以下となっている。このような公立大学に特有の事情を踏まえた検討が必要である。私立大学の場合は、規模、法人組織と大学組織の関係、歴史的経緯などによって実態は実に様々である。大企業のように専任の人事部門を持ち、人事管理や人材育成が組織的に行われている大学もあれば、方針や運用基準が不明確なまま人事が行われ、人材育成システムも未整備という大学も少なくない。もちろん単純な優劣はつけられない。専任の人事部門を持つ大規模校でも、職員組織に活力が乏しいケースはあり、専任の人事部門のない中小規模校でも職員が活躍し、教員と協働することで成果を挙げている大学もある。このように国公私などの設置形態や大学の規模、歴史的経緯などにより職員組織の実態は大きく異なるが、共通する課題もある。それは同じ組織内でありながら職員間で意識や能力にかなりの開きがあるという点である。例えば、年代や職階が上がるほど、規則や前例、理事会・教授会の決定に従って忠実に事務処理を行うことを重視する傾向が強ければ、組織に変化は起きにくい。新たな問題を発見し、その解決に取り組むなかで自らも成長するという土壌は、いつまで経っても醸成されないことになる。また、同じ年代や職階であっても、大学職員の役割をどう認識し、その大学で働くことに如何なる意味を見出すかリクルート カレッジマネジメント225 / Nov. - Dec. 2020職員間で意識や能力にかなりの開きがある
元のページ ../index.html#55