カレッジマネジメント227号
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11リクルート カレッジマネジメント227 / Mar. - Apr. 2021があることを強調している。つまり、大学教育の目的の一つは全人的成長の促進であり、そのために人的交流(が起きるキャンパスライフ)が必須だと再確認したのである。その方針を受け、大半の大学は後期から対面授業を一部再開した。しかしながら、学生達がキャンパスライフを喪失し続けていることに変わりはない。マスクを付け、決められたゲートでチェックを受け、距離を置いて座り、食堂ではしゃべらず、授業が終わればすぐ帰宅するというコロナ禍のルールにおいては、雑談や息抜き、人、モノ、知との偶然の出会いや驚き、異文化との交差などを体験することはできない。課外活動も綿密な計画書を出し、許可を得た範囲でしか行えない。徹底的な感染防止とは、徹底的な「偶然」の排除でもある。偶然の排除が心の成長に及ぼす影響は計り知れない。とりわけ学生時代は、社会的自立に向かって新たなことに挑戦し、様々な出会いによって自らを豊かにしていく時期である。旅に出ることも、夜通し仲間と語り合うことも、部活動でチームの一体感を味わうことも、全てが有機的に作用し合って全人的教育は実現する。しかしながら、今大学に学ぶ学生達は、withコロナ、新しい生活様式という掛け声の下、それらを欠いた学生時代の経験をもとに、先の見えない社会へ巣立っていかねばならない。大切なものや人の喪失体験をしたとき、心が起こす反応の過程については、ある程度法則が見いだされている。最初は喪失を否認・軽視し、次に怒りが湧き、その後自分が何かを頑張ることで喪失が撤回されないか取引を考え、やがてうつ状態や無力感が訪れる。多くの場合、一定の哀しみの時期を経て喪失を受け容れ、新たな自分のアイデンティティ構築に至るが、うつ状態が遷延化し、心の病に陥る者も出てくる。コロナ禍の学生達も、総体としては同様の過程をたどり、収束の見えない状況下で気分や意欲が落ち込んだ状態が続いているのが現在である。元気に適応しているようでも、心の作業を先送りにしているだけの場合もあり、慎重に見ていかねばならない。また、同じコロナ禍でも心の反応は個性や置かれた状況によって一人ひとり異なる。2~3年次の中間学年の学生については、コロナ禍以前と比較できるので、失ったものが自覚でき、それまでに築いた人的ネットワーク等である程度お互いに支え合うことが可能かもしれない。しかし、ギリギリのところで適応していたような場合は、抱えていた問題が一気に露呈する。卒業年次の学生は、喪失を回復できないまま巣立つ不安や諦めを抱えている者もいて、卒後のフォローが必要であろう。何より支援を必要としているのは、コロナ禍で入学した1年生とこれから入学する新1年生である。新入生は、入学式、ガイダンス、課外活動の新歓への参加や学内探索等の試みを通して仲間と出会い、徐々に親から自立していくが、コロナ禍のルールではその成長のプロセスを踏むことが難しい。最も問題なのは、これらの学生はコロナ禍前のキャンパスライフを体験していないため、そもそも自分が「何を失っているか」が分からないまま漠然とした不安を抱え、自己確立が遅れ、頑張って燃え尽きてしまう危険性が高いという点である。こういった問題を適切に見立て、多様な個性を持つ一人ひとりに合ったケアを提供して学生の心を育てることは、これまでにも増して大学の重要な使命だと言えるだろう。学生相談機関は、学生支援においてまさにこの「個別教育」の部分を担う専門的機能を有している。最後に、大学のマネジメントを行う立場の方々に伝えたいのは、全学の学生支援を制度設計していく過程に、学生相談の知見をぜひ活かしていただきたいということである。学生相談もこの1年で急速にハイブリッド化が進み、多様な方法で個々の学生にアプローチできるようになっている。大学コミュニティの安全を確保しつつ失われたキャンパスライフの復興を目指すために、また一人ひとりの学生が喪失から何かを学んで巣立っていけるように、大所からの施策と個に寄り添う視点からの理解が融合したところにそれぞれの大学の最適解が見つかることを願っている。特集 ニューノーマルの学生支援学生一人ひとりの心のケアのために、大学ができること

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