カレッジマネジメント228号
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42リクルート カレッジマネジメント228 / May - Jun. 2021公立大学は、平成期に39大学から93大学までその数を一気に増加させた。現在は専門職大学も加わり総計98大学に達している。東北6県を例にとっても、福島県立医科大学ただ1校だったものが、6県全てに計11大学が設置されるまでになった。本稿では、こうした公立大学急増における政策背景から、地方大学の未来を考えるためのヒントを示したい。まず、戦後の公立大学設置の全体像を確認しよう。グラフに示した上に伸びる棒は新規の公立大学設置数である。グラフ左端には、戦後の新制大学発足時に30以上の公立大学が旧制公立大学・専門学校を母体として一気に設置された状況が示されている。特筆すべきは、太平洋戦争の戦況悪化の中、銃後の医師養成のために設立された合計20に及ぶ公立(女子)医学専門学校である。中には開学直後に空襲により校舎が消失したものもある。大きな国難の下での医療人材の養成を引き受けた後、それらの多くは戦後、公立医科大学となった。一方、グラフで下向きに示された緑の棒は、国立移管による廃校を示している。戦後の自治体の財政危機の中で、特に医・農学部を中心に、少なくない数の公立大学が国立大学に設置者変更される。その後、自治体財政への影響を懸念した自治省(現在の総務省)が、新たな公立大学設置を強く抑制した結果、昭和期の公立大学数は、ほぼ横ばいに推移せざるを得なかった。ところが平成期に入ると、グラフ右半分に示す通り、公立大学の集中的な設置が始まる。地方自治体にこれらの政策決定を促す「追い風」となったものは何か。筆者なりの推論平成前期における公立大学の集中的設置戦後の年度ごとの公立大学設置(廃止・移管)数1948(S23)1949(S24)1950(S25)1951(S26)1952(S27)1953(S28)1954(S29)1955(S30)1956(S31)1957(S32)1958(S33)1959(S34)1960(S35)1961(S36)1962(S37)1963(S38)1964(S39)1965(S40)1966(S41)1967(S42)1968(S43)1969(S44)1970(S45)1971(S46)1972(S47)1973(S48)1974(S49)1975(S50)1976(S51)1977(S52)1978(S53)1979(S54)1980(S55)1981(S56)1982(S57)1983(S58)1984(S59)1985(S60)1986(S61)1987(S62)1988(S63)1989(H1)1990(H2)1991(H3)1992(H4)1993(H5)1994(H6)1995(H7)1996(H8)1997(H9)1998(H10)1999(H11)2000(H12)2001(H13)2002(H14)2003(H15)2004(H16)2005(H17)2006(H18)2007(H19)2008(H20)2009(H21)2010(H22)2011(H23)2012(H24)2013(H25)2014(H26)2015(H27)2016(H28)2017(H29)2018(H30)2019(H31)国立移管(下向きの緑の棒)18歳人口ピーク18歳人口ピーク地方分権の推進に関する決議看護婦等人確法ゴールドプラン公立大学法人制度新規設置統合による廃止国立大学移管151050-5-10(校)出典:筆者作成中田 晃(なかた・あきら)放送大学文化科学研究科博士後期課程修了博士(学術)放送大学2002年 公立大学協会入職2007年 同事務局長2019年 一般社団法人公立大学協会 常務理事・事務局長(5)公立大学の今後地域と共に考える地方大学の未来平成期に急増した公立大学の設置政策が示すもの一般社団法人公立大学協会 常務理事・事務局長中田 晃

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