45リクルート カレッジマネジメント228 / May - Jun. 2021かった。そろそろ紙幅も尽きつつある。最後にやや唐突とは思うが、地方自治と大学政策を結びつけ、平成期の公立大学集中設置の扉を開いた2人の政策アクターに登場願い、今後の地方大学の向かう方向について考えてみたい。左の写真は、釧路公立大学の設置に尽力した鰐淵俊之・元釧路市長である。平成改元前年の昭和63年に事務組合立により設置された同大学は、平成期の集中設置の先駆けとなるものであり、鰐淵氏はまさに自治省の政策転換を促したアクターであると筆者は考えている。もちろん地方自治を司る制度官庁たる自治省の政策方針が、一市長の熱意だけで転換することはない。前述のように、地方分権に向かう大きな流れがそこにはあった。とはいえ、地方分権をそのまま公立大学と結びつける必然性は自治省の中にはない。地域にふさわしい大学が必要という信念を持つ鰐淵氏の粘り強い働きが、公立大学政策を自治省の視野に入れる「きっかけ」となったと考えることは決して不自然ではない。右側の写真は戦時色の深まる昭和15年、保健婦として兵庫県政に参加し、後に全国初の看護系公立大学設立の最大の功労者となる仙賀ますみ氏である。戦後になり仙賀氏は努力の末、県政の中で医師の指定席と言われた職に就くようになる。そしてとりわけ戦前期に看護職に向けられた不当な処遇を振り返る中で、大学教育による看護職養成が必要との信念を持つようになる。仙賀氏は、専門職の立場から県政への積極的な働きかけを開始するが、こころざし半ばに病没してしまう。しかしその願いは、兵庫県看護協会により継承されたことにより、昭和を超え平成に至り、ついには若き日に仙賀氏の薫陶を受けた県庁職員の手で「県政課題」として取り出される。そして、高齢化社会という時代状況との整合を得て、平成5年の兵庫県立看護大学の設立に実を結ぶのである※。これらを単に傑出した人物のエピソードとして見るべきではない。米国の政治学者ジョン・キングダンは、次のように述べた。政策変化を理解しようとする際、社会科学者は構造的変化をみようとし、ジャーナリストは適切な時・場所に適切な人物がいたことを強調する。そして、それは両方とも正しい。政策を実現させるものは、もちろん個人のレベルを超えた社会的な要因であるが、その機会を活用するのは個人としての政策アクターだからである。これまでに「高等教育のグランドデザイン」答申や「地方創生に資する魅力ある地方大学」に関する報告などにおいて、貴重な示唆が地方大学に対し示されている。ただし、これらを拠り所にしたとしても、18歳人口減少下における需給バランスだけからは、地方大学の将来像は見えてこない。大学に求められる役割も一様には語れない。さらには、これまで見てきたように、様々な時代状況の変化に公立大学は翻弄されてきた。多くの地方大学も同様であろう。そして言うまでもなく、時代の変化というものは予測不能である。今年になって再度、公立大学協会が実施した学長アンケートには、コロナ禍の中で設置自治体の理解を求めながら学生の学びを守ってきた、いわば格闘の経緯が示された。命を守る医療や新しい社会デザインを先導する責任にも言及された。それらの回答の中に、設置自治体政策の可能性について「地域住民の課題を国よりも熟知し、それらを高等教育へ反映させていく動機があり、潜在力を有している」と評価する声があった。同時に「高等教育のプロではない自治体職員が大学のあるべき姿を描くのは現実的ではなく、大学側からの主体的な提案が欠かせない」との決意も示された。この評価と決意を結びつけるヒントを先の2人の政策アクターは教えてくれる。地方大学の未来を拓くのは、自治体、大学、住民を問わず、大学の未来について地域と共に考える政策アクターの強い信念であろう。そして「どうあるべきか」ではなく「どうするのか」を考え続けることのできる政策アクターは、時代の大きな変化や、それがもたらす危機の中に出現する。筆者はそう考えたい。※これらの経緯の詳細、あるいは論述の出典等については、拙書『可能性としての公立大学政策 なぜ平成期に公立大学は急増したのか』(2020年、学校経理研究会)を参照いただきたい。鰐淵俊之氏(左)と仙賀ますみ氏(いずれも故人)出典:釧路公立大学沿革史、兵庫県立看護大学5周年誌特集 地方大学の新たな選択肢(5)公立大学の今後
元のページ ../index.html#45