カレッジマネジメント232号
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11リクルート カレッジマネジメント232 │ Apr. - Jun. 2022乗らなければいけない、という必要もないのではないでしょうか。大学を改革するといった場合、新しいモノサシで考えられるような極めて理解のある1割、2割の人達で小さな穴をあけるところから始めるというアプローチもあると思います。─極めて理解がある1割、2割と聞くと、エリートのイメージがあります。それはむしろ逆です。この手のイノベーションを起こす時に活躍する人は「よそ者・若者・ばか者」と言われる人達です。簡単に言うと、今の評価指標で冷や飯を食ってる人。そういう人を見つけ、解き放つこと。育てるというよりは「場を創る」だけで十分育つと思います。─「教育してあげる」という発想を捨てる必要がありますね。人はいくらでも変われると思いますが、プッシュ型で人を変えることは難しい。つまり人が変わるということは「他動詞」ではなく「自動詞」だと思うことが重要です。私は「天の岩戸の法則」と名付けているのですが、天照大神が岩戸にこもった時、外で宴会が開かれて、それが面白そうだから自分で中から扉を開けた。同じように人も扉を外から開けることは絶対にできない。教育でやることとは、外で楽しそうな宴を開き、まず知的好奇心の扉を内側から開かせてあげること。指が入るだけ開いたら、あとは外からでも開けることができる。もし扉を開かない人がいたとしても、宴会をずっとやっていればいい。どうしても開けてやろうと思うとストレスになるんです。─もともとあるはずの個人の知的好奇心をいかに揺さぶるような場を大学が創ることができるかということですね。大学受験では偏差値のモノサシで全国の高校生達が競うわけですが、入学とともにそのモノサシを外されて目的意識を失ってしまう。ですから、大学としては新しいモノサシを次から次へと提供していくことも大事だと思います。試験もひとつのモノサシですから、司法試験等の試験を目標として用意するという方法もあるでしょう。試験でいい点を取ることによる自己満足感で生きていくって人がいてもいい。または就職をゲームのようにしてしまう方法もあるかもしれない。資格や起業もいいでしょう。個人の問いに立ち返るような振り返りやコミュニケーションを厚くするのでもいい。そういったモノサシをたくさん用意する。そうしたことを含め、多様でよいのだ、ということを許容する場なのだと思います。そうした場で多くの刺激を得て、与えられたテーマについての情報処理や課題解決の思考から、自分の課題そのものを見つけにいく探究の思考にスイッチしていくのではないでしょうか。─大学でも、問題解決よりも問題発見力が大事だと、PBL等の学びを強化する動きがあります。問題発見力を培うトレーニングにはどんなことが考えられるでしょうか。もしPBLの課題・問題が事前に設定されているのであれば、それは「問題解決」であって「問題発見」とは異なります。ビジネスの世界もそうですが、テーマそのものを考え、プロジェクトを起こすことが問題発見です。プロジェクトを起こした瞬間にあとは全て問題解決になる(図表2)。大学の学部レベルであれば、卒論のテーマそのものを、時間をかけて見つけることも問題発見そのものになるのではないでしょうか。例えば、新入生に「3年間かけて卒論のテーマを決めなさい」という課題を伝える。そして3年間の間にレビューの場を何度か創り、テーマの候補を出して検討していくというのはどうでしょうか。最初は粒度もめちゃくちゃで、世界を変えよう!というものから、家の前のごみ拾いまで色んなものがあっていい。大きくしたり小さくしたりして議論をしながら自分で決めることが問題発見そのものだと思います。大学はこうした思考トレーニングの場として、多様なモノサシを提供し、学生に多く失敗させ、そうした世界に慣れさせる実験場としての価値が大きいのではないでしょうか。(インタビュー/鹿島 梓 文/木原昌子)知的好奇心を揺さぶる場を創ることができるか01特集正解がない時代の「学びのデザイン」

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