カレッジマネジメント235号
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中村 稲見さんは、著書『スーパーヒューマン誕生! 人間はSFを超える』『自在化身体論』で「アバターやロボットを自己化すること」「自分自身の身体をロボット化すること」の重要性を書かれていました。メタバースで教育と聞くと、学ぶためのツールの一つとして考えがちですが、自分自身の身体性や自己化することは私も大切だと思っています。つまり、オンライン授業やソーシャル教育という概念は既に当たり前になってきているなかで、もう一段先のメリットを考える必要があります。僕らもやってきた経験で言えば、「学生も教員もいつどこにいても授業に入ることができる、海外にいる講師による授業が簡単にできる」「学生もリアルの場より発言しやすくなる」「教材もシェアしやすい」など。時空や時間軸を気にせずに学ぶことができるメタバースにおいて、自身の身体性をどう考えたらいいと思いますか。稲見 「他人ごとであった他者の経験や知識を自分ごとにできる空間」という表現もあるかもしれません。つまり、身体がその場にある感じや、自分がそこで何かをやっている感覚を出せること。タブレットやパソコンの画面の向こうの世界と、自分が実際そこにいて操作できる世界の違たことになります。このようなことが、iUでも東京大学でも同時多発的に起きているところが非常に大きなポイントなのではないでしょうか。左:第6の指「sixth finger」提供:電気通信大学・フランス国立科学研究センター(CNRS)・東京大学・JST ERATO稲見自在化身体プロジェクト右:バーチャル東大いですね。自分が体験することで、自分ごと化することが大事だと思います。「百聞は一見に如かず」という言葉がありますが、メタバースでは「見る」を経験の「験」に置き換える。「百聞百見は一験に如かず」という松下 幸之助さんの言葉が教育における価値と言えるのではないでしょうか。中村 オンライン授業は「見る・聞く」だけですが、メタバースによって「体験する・できる」になる。その違いは大きいですね。稲見さんが著書で書かれていた、「自分のアバター、つまり自分の身体をみんなで共有したり、合体したりする」という発想も面白いですね。稲見 例えば読書という行為は、他者の考え方が共有されたものを高速で吸収する手段とも言えます。合体による学習は、昔の村の代表に託して旅をしてもらうお伊勢参りに例えると、分かりやすいかもしれません。誰かの貴重な体験をみんなでシェアできるといったことですね。中村 オンラインやバーチャルに慣れている若い世代にとっては、稲見さんが言うメタバース空間での身体合体や分身を体験する未来はそう遠くはないでしょう。学校経営に関わる人は、それがかなり近未来だという認識を持っておいたほうがいいですね。24大学は何を提供できるのかという存在意義がより一層問われている(中村)

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