カレッジマネジメント235号
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オンラインで実現する教育の実質化と大学の「学位」の価値「マッチング」の考え方も同様で、SAT等の標準学力テストの点数の他に、高校での学業成績や学生生活に関する先生の推薦・所見が重視され、友人からの推薦状を求められることもあります。その背景には、世界の高等教育界で、民族、文化や教育的なバックグラウンドについての多様性が高まっている状況もあると思います。企業が、働く人の「個」を尊重しつつも、適所適材に選考・採用をしていく際には、もはや単一的な評価軸だけでは難しい。その人特有のスキルや経験はデジタル証明されたもので判断しつつも、価値観・文化的背景や他者による推薦等、多様な観点から人材を採用する社会になっているということなのでしょう。松村 日本人はテスト好きで、何でも測りたがると言われたりしますが、人材採用においても先ほどのアメリカの例のように、あらゆる観点を踏まえるのではなく、何でも一つのインジケーターを使って測定し、その結果を信奉しようとしますよね。だからこそ、テストの手法にしてもデジタルバッジで証明されるようなものも、「本当に測りたい力が、正しく測れるのか」という厳密性を信頼しようとする傾向があるのではないかと感じました。飯吉 松村さんがおっしゃることは、その通りだと思いますね。日本では、一度尺度や基準を作るとそれを使うことで安心してしまい、本当に一人ひとりの能力・実力を見極めるという目的をおろそかにしてしまいがちです。しかも、一つの尺度だけで見てしまうので、序列化も促進してしまうのだと思います。松村 そうですよね。ただ、今後は日本の新卒採用においても多様化が進むことが避けられませんから、一つの尺度で測り、序列をつけて門前払いするような人材採用では通用しなくなります。もちろん依然として企業側は、地アタマが良くて論理的思考力があるというような、従来の尺度において優秀な学生はこれまで同様に採用したいのですが、そもそも若飯吉 日本で、いつ偏差値神話による大学の序列が崩れてくるのかは興味深いところです。例えばアメリカでも、私が学生の頃は、オンライン大学というのは胡散臭いと言われていました。ですが、そこで学んだ学生の中から社会で活躍する優秀な卒業生が輩出され、その実績と評価が長年積み重なって、オンライン大学の学位の社会的価値の確立につながったのです。松村 飯吉先生がおっしゃるように、オンラインの授業を通じて質が保証された教育を受けることは、ある程度進んでいくと思います。ただ、大学ごとの差別化にはつながりづらい。大学を差別化するのは、むしろオンラインで学べないこと、人と人との対面が必須な活動にあると思います。例えば、アクティブラーニングを通じて磨かれる能力等があるでしょう。そういった能力が就職時に証明できるかというところがポイントになっていくと思います。い人が減っている中で大学進学率がもう少し上がるとしたとき、「考える力」とか「思考力」だけではない能力で勝負しようという学生が多く社会に輩出されることになります。偏差値の序列だけで門前払いするような採用はだんだんなくなり、企業はこれまでの評価軸とは異なる様々な観点を踏まえて判断せざるを得ないと思います。さらに言えば、大学でなくても、オンラインでの学びを通して得られた技能や知識が、社会、特に雇用者側から価値あるものと認められれば、それこそが本当の意味での「教育の実質化」であり、マイクロクレデンシャルは、まさにそれを証明するものとして発行されているわけです。今後、オンライン教育がさらに進展するにつれ、大学の「学位」とは果たして何なのか、が論点となってきます。私は、大学が学位プログラムをどのように構成し、そこで何を大事にするかが肝要だと思います。34オンラインを通じて得られた技能や知識も、社会から価値あるものと認められれば、それが「教育の実質化」の実現となる。(飯吉)

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