うというコースである。同大学は博士課程は持っておらず、修士の2年で養成することを目的としている。伝統的な大学では、大学の教員になるためには、学部から修士課程、博士課程へと進み、長い時間と苦労を重ねて博士号を取得し、身分が不安定な助手や非常勤講師等を務めた後に、専任の職を得るというのが典型的なキャリアパスである。「大学教員のなり方」を教えること等は、“ハウツー”と位置づけられ、学内的にも歓迎されない。そのため、わずか2年間で大学教員を育成するようなコースは設置しにくく、同質化は仕掛けにくい。また近年、私立大学では総合型入試と学校推薦型入試による入学の比率が高まってきている。実際、私立大学入学者の58.2%(2021年度)が総合型入試と学校推薦型入試によるものである。そこではペーパーテストによる学力よりも、「何がやりたいのか」を面接やエッセイを通じて判定しようという大学が少なくない。複数の学部・学科がある大学では、なぜその学部・学科を目指すのかは、願書のなかでも欠かせぬ情報となる。しかし受験勉強に明け暮れる高3生にとって、「大学で何をやりたいか」が本当に明確になっているだろうか。現実には、社会に出て何をやりたいか分からないので、とりあえず大学に行くという生徒が大多数ではないだろうか(早稲田ならどこでも良いと、文系全学部を受験する猛者も未だにいる)。この点から見ると、国際基督教大学(ICU)(入学定員677名)は、専攻(メジャー)を2年次の終わりに決める制度になっており、これは大手の大学では同質化しにくい(仮に、マンモス大学で、専攻を決めずに全員の入学を許したとしたら、2年後に学内は大混乱に陥いるであろう)。ICUでは、「学びたい分野が変わる、ICUではよくあることです」と言う。他方、伝統的な大規模大学では、途中から学部・学科を越えての変更は容易ではない。さらにICUでは、専攻を1つ修める「Single Major」、主専攻を2つ修める「Double Major」、2つの専攻を比率を変えて履修する「Major + Minor」の3つの選択肢がある(日本の普通の大学は「Single Major」に当たる)。ICUには文学、物理学という伝統的専門分野に加え、平和研究、アメリカ研究等の分野もあり、合計31のメジャーが用意されている。そのため、経済学と音楽を両方専攻することも可能なのである。このような“二刀流”は、日本の伝統的大学では学部の壁が厚く、なかなか実現できない。また日本の古い価値観では、「あなたは結局どちらがやりたいの?」ということで、「二足の草鞋」を好まない層もいる(英語で同じような言葉に「wear two hats」があるが、この言葉には、ネガティブな意味は含まれていない)。世界で“二刀流”を求める潮流が出てきたなか、こうした制度は、複数の才能を持つ若者には魅力的な機会を与えるだろう。最新の事例では、奈良女子大学が2022年4月から、リベラルアーツ型の工学部(入学定員45名)を開設した。同学部は女子大で初の工学部であるだけでなく、米国の大学等を参考にし、入学時に専攻を決めず、幅広く情報システム、機械工学、化学、エンジニアリング等を学ぶ。その土台になるのがSTEAM(化学、技術、工学、アート、数学)の教養教育である。卒業に必要な単位の半分が自由に選択できる。専門を早く決めない「レイト・スペシャリゼーション」の考え方を採っている。こうしたレイト・スペシャリゼーションの試みは、既存の学部・学科の枠組みを変えなくてはならないため、大規模な大学では同質化しにくいと言える。例えば東京経済大学では、2017年から「キャリアデザイン・ワークショップ」と呼ぶ少人数制(入学定員50名)の学部選択制度が始まった。1年次に東経大の4学部の入門科目を学んだうえで、2年次以降は選択した学部に所属し、専門的知識を習得することを狙いとしている。これは経済学部(入学定員530名)、経営学部(同565名)、コミュニケーション学部(同225名)、現代法学部(同250名)の4学部を擁し、入学定員が合計で1570名という中規模大学であるが故に可能な仕組みと言えよう。顧客の手元に蓄積された交換部品、消耗品、そして企業イメージ等は、大手企業の資産である。それを逆手にとった戦略が、「市場資産の負債化」である。例えば、(株)リブセンスは既存の求人企業と似たような、求人、不動産、中古車等の領域で、企業とユーザーをマッチングする企業である。ただし既存の求人企業と違うのは、企業から“成功報酬”として代金をもらう所にある。既存の求人企業は、広告掲載料として先に料金をもらい、情報をエンド・ユーザーに届ける。しかし中小のクライアン②市場資産の負債化61
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